9月8日(金曜日) 子どもの貧困 は 何が問題なのか?

  • 2016.09.09 Friday
  • 16:50

 まず、秋の講演会。まだ余裕あります。なんでも薬という条件反射を検討しましょうと。 

アーレの樹 秋の講演会  
『発達障害と薬の使い方を考える』
講師 小児精神科医 石川憲彦 先生

2016年10月23日日曜日午後1時から3時まで
場所: 愛知学院大学日進キャンパス  愛知県日進市岩崎町阿良池12 
定員: 200名  参加費:1500円
主催: 一般社団法人 アーレの樹 愛知県日進市梅森台4丁目66
電話 052-807-2585 FAX 052-864-7005
申込み方法:仮予約 
‥渡辰FAXでお名前、住所、電話、メールアドレス(ある方のみ)
▲◆璽譴亮HP:http://aarrenoki.org/event/   の下の方にある
 「イベントのお問い合わせ、申し込み」から

仮予約後、参加費納入手続きなど詳細について、こちらから御連絡します。

お問い合わせ:一般社団法人 アーレの樹 052−807−2585
            メールaarre-event@aarrenoki.org

 

 今週の日曜日に、『子どもの貧困』というテーマでレクチャーというか、概論を頼まれて90分くらい二十人くらいのかなり前向きで、意欲的な人たちの前で話をしてきた。ボクの話を参考にしながら、これからしばらく様々なアクションやプランを作っていくというので、いつも以上に緊張して話をした。

 

 正直、準備もけっこう大変だったが、いつも「大変な準備は身になる」と思っているので、苦労とかしんどいとかは思わない。淡々と資料や自分の経験や記録を整理していくだけだが、まとめていこうと思うとなかなか工夫が要る。ピーマン頭なので、ない知恵を絞った。ちなみに、先日のNHKラジオに出演したときの準備は、手紙に対してのコメントや考えを述べるという予習だから、さほど大変ではないのだ。

 

 子どもの貧困が、相対的貧困と絶対的貧困という分割された別々のものと捉えるのは理論上のことで、実際には相対も絶対もなく、「生活しにくい貧困」状態なのである。貧乏と貧困は若干ニュアンスがちがうが、ボクの感覚で言うと、貧乏はそれがどうした!と自分で思えるが、貧困は、元気が出ないので、ちょっとほっとけないなと思う。

 

 「日本では、相対的貧困が絶対的貧困を招いて、社会の格差と不幸が加速的に広がり、収奪と内部留保が増加する」というのがボクの主張だが、それは、まだ仮説なので、今日は話さなかった。

 

 「雨露を凌げる場所があって、食べるものがなにかあれば生きていける」とずっと思ってきたので、衣食住にあまり贅沢感覚を持ち込む気はない……ようになった。あんまり立派な堂々とした門扉や大きな庭があったりする邸宅を見ると、「あの家の中では、不幸が積み重なって、最後は殺人事件が起こる感じがするな」と若干すねて()思うのがボクの常である。

 

 今回の会の参加者は、知性的な若者から、人生を沈思黙考できる年配の人までで、なんだか「ボクで申し訳ない、真剣に聴いてくださっているのに、ごめんなさい」的な気持ちで話した。

 

 

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    8月28日(日曜日)不登校と8/28おたよりラジオ7で話したこと

    • 2016.08.28 Sunday
    • 23:50

     28日放送当日の朝の九時頃家を出て、名古屋駅に行く。前日から息子夫婦が来名してくれていて、楽しく歓談(笑)。最近は、若い人たち(たとえ息子とはいえ、いや息子だからこそか)は、ボクらに話を合わせて付き合ってくれていると思うようになった。夕飯は息子の連れ合いの弟君も呼んで、久々の外食。弟君は少し前から名古屋に就職している。映画の話になり、見たいと思っていた『君の名は』を、夜見に行くというので、うらやましいなあと、やや盛り上がる。他の人たちは、沈黙。

     

     昨夜は今日の番組の進行表が若干修正されたものが送られてきたので、自分で作った放送ノートを確認する。「不登校の話」は本当に難しい。評論しちゃうとなんか他人事(「たにんごと」でなく「ひとごと」と読む)のように思ったり、思われたりするので、隔靴掻痒(「かっかそうよう」と読む)の感あり。ただ、できるだけ、ボクなりの「原則さ」と「適当さ」を合わせて考えて表現するといことになる……なんて、いつものことなんだけど。

     

     事例をどう扱うかというのが一番難しい。つまり事例として不登校をまな板にのせると、その人にとっての不登校はそれがすべてだと考えるだろうし、そうでない人は、事例と自分の体験との「違い」に違和感を持つんだろうと思う。そんなことを考えながらノートを作る。(これは、結果的に、どうでもよくなったけど)

     

     東京まで空席の目立つのぞみで本を読む。この期に及んで滝川一廣さんの本。滝川さんはおもしろいし、非常に現実的且つ原則的なので精読している。精神科医ではあるが、臨床的不登校だけでなく、「教育論」的不登校についてもかなり造詣が深い。

     

     渋谷のハチ公前から歩く。今日の宿泊所のホテルで荷物を預かってもらって、カフェ(笑)に行く。しかし、東京は、どこもどうして混んでいるのだろうか? 首都だからな。日曜日だからしょうがないけど、カフェだと看板に書いてあるから入ると、どう見ても自動販売機にちょっとおしゃれなサポート店員さん&椅子があるだけだろうと思えて、出てしまう。結局はNHKのそばの交差点を見ながらお茶の飲めるカフェの二階に座る。ゆったりとしているがカウンターだ。

     

     そばで五人くらいの若者が、自分たちのバンドの売り方について、いろいろと熱っぽく話している。女の子が元気で、キツイ話し方で論じている。男は、ちょっと上から目線的に話すが、それがチープで、女の子に反論され、「ごめん」と謝っている(笑)。

     

     久しぶりに……というか、落合恵子さんに会った。いろいろと話がはずんで、自分の忘れ物に気付いた。ほんとうは、『女が別れを告げるとき』1979年の初版本をボクは持っていたのだが、それを持参して、落合さんにサインしてもらうつもりだったのだ(笑)。残念! 京都のあんだんての福本早穂さんとは始めてお会いするけど、すぐに打ち解けて良い雰囲気になって、放送室へ。

     

     しかし、「海図」(進行表)がアバウトのような(NHKにしては(笑))感じたが、今までの不登校に関するお便りが中心に進むので、のんきに構えていた。むろん、それぞれのお便りに関してはコメントを考えてはいたのだ。ところが、45分あたりから、新しいお便りが、番組中に入り始めた。とくに十代の若い人たちからのものがあり、それを取り上げた方がいいよね!となったらしく、つぎつぎに放送室にファックスやメールが届けられる。番組の進行コントロールは加藤成史敏腕(感動しました!)キャスターがすることになっている。

     

     で、けっこう難しい質問がボクに振られてきて困った。いじめで不登校というのはよくあるし、学校に行く必要性や、追い詰められたところでの身の振り方など、話し出したら1週間くらいかかるような重い中身をどうするか??? 事前の打ち合わせでも、「いじめ」に深入りすると大変だよね……って言ってたのに(笑)。後半は、加藤キャスターと目を合わさないようにしていたのだけれど、今度は落合さんが振ってくる。

     

     かんべんしてよモード(笑)。ラジオだということで、慌てふためいた様子を視聴者に見られることはないけれど、お便りを書いてくれた人や、しんどい思いをしている人が今ラジオの前に確実に存在していて、にもかかわらず、両者とも顔が見えないというきわめて厳しい状態……だから、言葉を選んで話すしかない。当然、ボルテージは落ちっぱなし。そこが、自分でも、おもしろかった。

     

     途中で、「不登校したことのない人には分からない」「うちら田舎だし、お金のかかるフリースクールのことばかり言わないで」という、そりゃそうだよねと思う。批判メールなども来ると、みんな「できるだけ取り上げよう」と一致。なかなかの即席チーム力だった。批判はその通りだ。だけど、そっから対話をはじめようと思う。

     

     落合さんもすごくアバウト。しかし、さすがとしか言いようのない、受けや、回しだった。筋もとおっていていい。レモンちゃんで、昔、高校生のころから深夜放送で、ずーっと聴いていたファンとしては、同じスタジオで話してるんだと、ふっと感動した。今までも集会やクレヨンハウス、『お・は』などでお世話になっているのだけれど、なんだか嬉しかった。

     

     しかし、「終わっちまえばもういいや」モードになってしまうところが、ボクの悪いところなんだけど、関係者にもそういう人がいたので嬉しかった。だって、済んだことは、感情的に悔やんでもしょうがない、冷静に次のステップに生かすか忘れるしかない。

     

     今回の番組では、ボク自身のテーマは想像力だった。不登校もそうだし、いじめもそうだ。ただそれを「相手の身になって」という言い方にはしたくない。「相手の身には簡単になれない」ということ。けれど、想像力をフル活用し、限界を認めながらも、共感したり、反発したりできるはずだ。ラジオはテレビよりもその点はいい。

     

     いずれにしても、不登校という重たい。けれど、味わいのあるテーマを落合さんや福本さん、加藤さんと全国に向けて話せたことはボクにとって、すごく生きた勉強になった。色々とファクスやメールをくださったみなさんありがとう。「岡崎さんって、こんな声なんだ」とメールくださったかた。「ファンです」と恥ずかしいことをメールくださったみなさん、どうもありがとうございます。

     

     明日から、二日間孫のいる娘のところですごします。

    *8/22のブログが消えました。操作ミスです。申し訳ありません。

     

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      7月25日発刊 『お・は』92 『行きしぶり・不登校、親の心がまえ』

      • 2016.07.24 Sunday
      • 16:20

       

      夏になりました。毎日セミの鳴き声で目をさましています。みなさん、御元気でしょうか? 『お・は』92号をお届けします。

      今回の特集は『行きしぶり・不登校、親の心がまえ』です。「正しい意見」だけでは、なかなか難しいのですが、原則と臨機応変の両方をながめながら特集を組んでみました。

       

      学校へ「みんな」が行っているのに、なぜウチの子は「行かない」「行けない」のか?というところが教員や親のいらだちとかあせりとか不安です。でも、たとえば、子どもの半数くらいしか学校に行っていなければ、おそらく、そんな不安はなくなり、今度は、子どもにとって「行く方がいいのか、別の方がいいのか?、この子に学校は必要なのか?」という選択等に「悩む」ことになるでしょう。

       

      新卒のころからずっと今まで、私はいつも「手ぶくろを買いに」(新美南吉)の最後のことば「ほんとうに人間はいいものかしら」という母ギツネにならって「ほんとうに学校っていいものかしら」とつぶやき、考えてきました。もちろん、私は学校はそれなりにおもしろいところだと思っていますが、誰でもがそうだとは限りませんし、すべての学校が同じようにおもしろいわけでもありません。子どもを受け入れる努力が十分だとは思いません。それどころか、子どもを排除しているようなところだって、たくさんあるはずです。

       

      行きしぶりや、不登校は、学校の根本を見直せ!という子どもから私たち教員・親・大人・社会への命をかけた要求的な問いかけなのだと思った方がいいと思います。ぜひ、この特集も、そうした意味で読んでいただければと思います。

       

      そして、『お・は』も購読者をさらに増やしていかないと発刊も大変です。広告も取らず、教育版?暮しの手帖(笑)としての意気込みで続けています。ぜひご支援をください。お近くの方にご紹介ください。ネットでもアマゾンでも注文できます。

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        影山 健 先生

        • 2016.06.19 Sunday
        • 18:34

         

         影山健先生が6月16日に亡くなられた。新聞にも訃報が掲載された。愛知教育大に勤めながら、管理主義教育に反対し、愛知の教育市民運動の草分けのリーダーであり、お祭り型の公共投資である愛知万博にも異議を申し立てた希有な研究者である。そしてオリンピックそのものに断固反対された。協働的ゲーム『トロプス』の考案者でもある。

         

         私にとっては、愛知教育大学二年生のころからの師であり、当時、先生は都立大学助教授であった。すでに、若くして、世界的な体育・スポーツ社会学の著名な研究者であった。日本よりも欧米の方が有名であったという話もあるくらいだ。世界的な体育・スポーツ学会の中心メンバーでもあった。

         

         先生と一緒に活動し、指導を受け、先生と本も何冊か作り、そして、知事選も一緒に運動し、20歳から今まで、ずっと、先生と一緒だったような気がする。ここ10年くらいは、私自身も多忙を極め、健康にも不安があり、先生にお会いすることも少なくなってしまったが。

         

         2014年4月15日に名古屋で、イギリスで活躍している、身体とジェンダーの研究者ジェニファー・ハーグリーブスさんを呼んでの集会が、先生とやった最後の集会だった。(この写真はその時のもの。ジェニファーさんと私と影山先生)

         

         先生の影響があまりにも大きく、通夜で焼香したのだが、実感も湧いてこない。しかも、葬儀の日は、第51回おもしろ学校ごっこの日で、参列できなかった。「その日は、おもしろ学校ごっこで行けません」と言わざるを得ず、申し訳ないでは済まないなと思った。

         

         私なりの弔辞を、あらためて書かねばならないなと思っている。ご自宅へ伺うと、いつも、分厚い英語の資料を読んでいて、「これを読みなさい」と、これまた分厚い資料(すべて英文)のコピーを渡され、いつも先生らしいなと笑いながら受け取って、「先生、早く、本を書いてくださいよ」とお願いしてきたが、もう宿題を出してくれる先生も、本を書いて欲しいとお願いする先生もおられないのだなと思う。

         

         三ヶ月前に、伺ったとき、病床から切り抜いた雑誌の資料などを取り出しながら、「安倍はいけない。東京オリンピックは問題だらけだ」とくり返しおっしゃていた。それが、最後に聞いた、先生らしい力のこもった言葉だった。

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          4月27日(水曜日) 子どものコミュニケーション力ということについて

          • 2016.04.27 Wednesday
          • 15:24

           コミュニケーション力を鍛えようという話がよくあるので先日アーレの樹の「第三火曜:岡崎センセのお話の会」でテーマにした。大抵は「明るく元気な受け答えがパキパキチャキチャキはっきりできる賢い子」をコミュ力がある子どもというイメージ(あくまでイメージね)があるようだ。しかし、それって大丈夫?っていいたい。そういうのは小賢しいというのではないか。まあ、小賢しい子どもは、子=小ざかしいわけだから、それで良いのだけれど。
           
           コミュ力ってのは だれが、どんな内容として必要としているのか? それがいまいち不明だ。つまり、学校とか子育ての中では「発達障害」が取りざたされてから、コミュ力のない子=周囲の動きが捉えられず、勝手(わがまま)になり、教師の言うことを聞かない子……みたいなとらえ方がされている……ような気がしてならない。
           
           発達障害診断の中には「コミュニケーションが苦手」というような無茶なリストがあって、そんなこと言われてもなあ、コミュニケーションが苦手な人なんかたくさんいるし(ボク自身も、またボクのまわりだってたくさんいる)、「コミュニケーションが得意」な人に会いたいなと思う。
           
           結局、当人のコミュ力が必要なのは、相手をしている親とか先生とか指導する人になるわけなのか? ということではやはりなんか変。本人自身がコミュ力の必要性を理解していないとだめなのに、いや、必要としているのなら分からないでもないが、他者が必要としているのなら、もうちょっと慎重に「コミュニケーション力(能力っていう人もいる)」を考えたらどうかと思う。
           なんだか、自分がよく分からないから、「お前のコミュニケーション力がないのがイケナイ!」と言っているようで。
           
           唐突だけど、日本経団連は ずっとコミュニケーション力を 必要な能力のトップにあげる(らしい)。語学力より必要だと。これは、企業の利潤を生む産業戦士のパワーとして考えているからだ。しかし、そういうなら、企業で必要なコミュケーションの力を企業でちゃん育てればいい話だ。
           
           一般的に人と一緒に何かをしようとすると、その場の「空気を読む力」がまず必要だと「分かりやすく」言われる。しかし、それは「自分の意見をきちんと主張できること」だとか、「人の意見をしっかりと聞き参考にできる」ためにであり、結局は相手と自分の関係を構築するということである。これは、それほど困難なことではなく、かなりの部分マニュアルでないスキルとして身につけることはできる。
           
           「空気を読む」ことを「周りに合わせて、自分の気持ちを抑えるばかり」という意味でとらえるのだったら、「空気を読む」なんてを事しない方がましだし、そんな「同調するための空気読み」なんかは、きちんとコミュニケーションを取ろうと思う人は身につけない方がいいと思う。
           
           依然として日本の組織(家族を含めて)は ‖真派に賛成なさい 疑問をもってはいけない 上司など権力を持つ人に「無批判に従いなさい」という コトナカレ従来型コミュニケーションが多いと思う。
           
           自分の意見を言って、みんなと違いが出てくれば「空気が読めない」とか「勝手を言う」と言われ、みんなと一緒主義的に振る舞えば、「自分らしさがない」とか「自分で判断もできないやつ」などと言われる。この矛盾した上司やリーダーの「命令」自体が問題。
           「なんでも意見を言いなさい」と教員は良いながら、勇気を出して話すと「それは、この問題と関係ないじゃない」と断じるような教員は多い。相手は、子どもだぜ。
           
           「あれ、先生はさっきなんでも意見をいいなさい」って言ったのにおかしいなと子どもは当然思う。つまり内容の違うコマンドを無理に出していけば、コンピューターなだけでなく、人間だって、まして子どもならフリーズするのはあたりまえだ。
           
           子どもの場合は、親や教員という周囲の人間=力を持つ人間が コミュ力を低下させているのかもしれないと考えてみても良いのではないか。
           
           子どもたちは、だれでも、そもそも色々なもの・ことに「こだわり」があるものだ。順序とか場所のありかたを、自分をとりまく世界として受け入れて、なんども確認する。

           お腹にいるときに、自分の母親の鼓動や「気持ち」に敏感なことは理解して、生まれてからもそこに「こだわっている」から、抱っこされて安心できる。親は、毎日、その種々雑多でワケわからん「こだわり」をうまく受け入れながら、子どもと生活する。生活のリズムを作り出す。それは、子どもに合わせるのか、子どもを合わせるのかという違いがある。子どもが合わせるようになることを「よき成長」といい、子どもに合わせるときには「未発達」という判断を下してしまうが、単にこだわりへの対処の仕方にすぎないのではないか?この段階で、親や教員が「自分に理解できない」ときに、コミュ力不足などと断言するのだ。

           どうしても、親や教員は、ー分の伝えたいことを、どう伝えるかを優先的に考える。良心的な親や教員は、相手が理解しないのは、自分の言い方が悪い、適切ではないという判断をする。しかし、△修譴任盪劼匹發理解しないのは、子どもの発達・成長に問題がある。という惰性的な思考回路がある。
           
           子どもは、そもそも「伝えられたいのか?」という問題がある。今、言われても、聞く準備がないのなら、いくらスキルがあってもうまくいくはずはない。
          さらに「表現しなさい」「分かるように言いなさい」と、言いたくもないことを言わせるとき、コミュニケーションは、子どものもっとも嫌なモノになってしまう。

           子どもの「分かって欲しい」から「伝えたい」の混濁した「こだわり」や「方向」をもう少し、しっかりつかんでから始めよう。そして、それでもわかり合えないときは、努力は続けながらも「ま、なかなか私にも理解できないことが世の中にはたくさんあるのだ。いつか、だれかがわかってくれるかもしれない」でよい。少なくともネガティブなコミュ力は必要ない。
           
           
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            3月26日(土) 『現代思想』4月号 すみません表題長くて!

            • 2016.03.26 Saturday
            • 19:46


             現代思想4月号『教育サバイバル』が発刊された。すでに十年以上も毎年4月号に書かせてもらっている。元中学校教員の赤田圭亮さんや、元高校教員の佐々木賢さんも同じく。

             

             今回も私の表題が長くてごめんなさい。佐々木賢さんは「格差社会の教育状況」と格調高く、文章も緻密で的確な指摘に時間を忘れて読んでしまった。赤田さんは「工場化する学校」ということで、これでいいのか教育改革!と、昨今の「いじめ」事件を取り上げながら、広い視野でのビシビシ文章で、これもまた、一生懸命読んでしまったので、入れたコーヒーがさめてしまった。

             

             じゃあ私のはどうなのだ、言われても困るが、表題は、何を隠そう(隠せないけど)、

            「センセイ、ぼくの「やる気スイッチ」を押してください! あれ?センセイの「やる気スイッチ」がないですよ 強制再起動しましょうか?」である。長くて申し訳ありません、ホントに。目次で4行も取ってしまいました。

             

             中身は、

            1 人間ピラミッドと職員室民主主義の崩落

            2 「みんなの学校」の可能と「支援」という合理的「差別」

            3 子どもの環境の貧困化は「生きる力」から「生き延びる最小限の力」へ

            4 親と教員が共有化する「子どもとの摩擦」:賞罰学習か? たのしい授業か?

            5 教員の多忙化(部活とか)と教育の多忙化

             

             巻頭に内田良さんと大内裕和さんの対談があるのだが、そこで問題提起されている内容に関しても、具体的に応えたようになっているのが面白かった。別に、打ち合わせをしたわけでもないが、今どきの「教育現象」は、学校教育そのものの持っている根本的な矛盾やそこで積み上げられて、何層になっているか分からないくらいグダグダな土台の上にたっていると思うのだ!断固そうだ! という認識が私の中にある。

             

             そういう底なし沼のような水面でも、子どもたちはなおかつ「それなりに元気」なのがすごいと思う。かえって、そういう元気さに救われてしまうから、本質的なグダグダが見えにくくなったり、グダグダの存在自体を疑ってしまうのだろう。見るべきものを見ないで、気分のいいものしか視野に入れない、そして、心ざわつくようなものはあえて避けているような学校教育関係者(親、教員、教育行政関係者)がほとんどということではないだろうか。

             

             今回は、参考文献をいくつかあげておいた。最近教育を考えようとすると、どうしても1970年代から80年代にかけての、書物を読み直すことになる。自分が、年取ったからかなと思ったが、どうもそうじゃないぞと。


             最近の本を読んでいると、たとえば『学習する学校』(ピーターMセンゲ著 リヒテルズ直子訳)なんかは、すごく基本的な教室の学習における技術的ノウハウがしっかりと書かれているが、その構造も私にとっては一番下の層でなく、中間的な構造の層のように考えられる。だからダメだって言ってるんじゃなくて、昔の(あっ今もあるか)教育技術の法則化運動を、かなりバージョンアップして質を向上させたような感じだなと思うのだ。(今回は書かなかったが、授業の「実践」にしたって、けっこう昔の人はすごかったなあと思う。自分が若い頃に教えを請うた、多くの有名な先生たちの授業はホントに面白かったし、個性的だった。いまは、みんなスマートだなあと思う→ものたりないという意味で。)

             

             今回の私の文章で言えば、「人間ピラミッドは危険だよね、だから規制しよう」ということに対して、いやいや現場的にはすでにやってないところもあるけど、やめたのは、実は「危険」に対しての論議より、「時間かかるよなあ」とか「教えるの無理でしょ、今の子に」というレベルで「中止」したということもあるんだよって、それを分かって欲しいわけ。原因・理由 → 結果とすんなり結びつかないこともある。

             

             今までずっと、教育的営為は、教える側ですでに予定調和的な言説を作ってしまって、それを闘わせているところもあり、それだけ見ていると、単純なイデオロギー闘争やヘゲモニー闘争だけになってしまう恐れがあって、子どもや教員が「置いてけぼり」されるか、生け贄になるかということだと確信している。……という面倒なことも一応私は考えているんだけれど、ね。

             

             いずれにせよ、現代思想4月号が無事発刊されたことにパチパチ。他の論文もぼちぼちよんでみようと思っている。

             

             月刊誌『現代思想』青土社刊 1300円+税です。


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              3月11日(金曜日)岡崎サンの考え方って… パワハラ??

              • 2016.03.11 Friday
              • 22:12


                ものを書いていると、見知らぬ人から突然、メールや手紙が届いて、笑えたり、びっくりして右往左往することがある。

               

               昔は、「岡崎は教員をヤメロ!」とか「とんでもない教員だ!」という、匿名のはがきや手紙をもらった。なんだか、嫌な感じだなと思いつつも、匿名ってのが書いた人の気持ちを表していて、なんだか同情して。イタくなってしまうことも多かった。こういう手紙に限って、文字が下手くそで読みにくい。読んでもらおうという気が感じられない。残念です。

               

               一緒に仕事をすると、ボクが普通のまじめな()教員だということが分かるんだけど(自分で言うのも笑えますけどね)、遠くで、噂だけ聞いているとメチャクチャやっている人みたいに思えるらしい。

               

               自分が、いい人とは言わないけれど、取り立てて性格破綻しているわけではないので、しかも、人生的には幸せだから(比較的にね)、人に嫉妬したり、憎むこともあまりない。

               

               ただし、変だなと思うことは、できるだけ、その場でハッキリと言うことにしている。だから、ケンカになっても仕方がない。

               

               職員会でも管理職や先輩とよくケンカした。ケンカは論議とは違う。いいかんげんにろ!このバカヤローということで、品性はなくなる(残念だけどね)。でも、品性を無くしても怒れるときはきちんと怒らないと、ことの重大さを理解できない人がいるから仕方がない。

               

               ある先生と向かい合って職員室に座っていたことがある。同学年だったけど、彼女は、岡崎さんって、怒る前には眉がぴくっとして、顔つきがちょっとだけ変わりますよね……と言われて、びっくりしたことがある。「あああ、キタキターッって、わくわくするんですよぉ。」

               

               おもしろい先生で、その子の観察力はすごいなと思ったけど、そこかよ!とツッコミをいれたくなった()

               

               職員室で大きな声で怒鳴ることがあっても、心は平静でないといけない。感情をコントロールできないまま怒ると、まずいことになる。自分は怒っていても結構冷静なので失敗はない。

               

               でも今なら、パワハラって言われるかも知れない。

               

               ただ、言葉は乱暴になる。会議でとても品良く話すけれど、中身がない発言をする人には、「なんかぐちゃぐちゃ言っているけど、どうでもいいことじゃないの。時間の無駄だよ、バカヤロー」と言ったら、校長が「そういう言い方をすると、発言がしにくくなる」というので、「この程度で発言もできないんなら黙ってりゃいいんだよ」と言いかえした。すると、職員室で笑いがおきる。苦虫をかみつぶしたような顔をしているのは、校長と発言者だけだ。

               

               なぜ、みんなが笑ったかというと、ほんとに、つまんない話だったからだ。これは、ほんとです。時間の無駄話の典型の様な話だから、職場のみんなも分かっていて笑ったのです。

               

               つまんない発言は「つまんない」と言わなきゃいけないし、「ああ、つまらんなあ」となんらかの意思表示が必要だ。あくびでもいいから。

               

               今まで、ぼくが若いときに経験した、先輩の一番衝撃的だった「つまんないぞ!」という表現は、仕事をあまりしない年配の体育主任が、校長のお説教の途中で「ブワッ」と大きなおならをしたときだった。残念だったのは、みんな笑えず、空気が凍ったことだった。笑えたらよかったのだけど。下品ですみません。

               

               パワハラに気をつけて怒るとどうなるか……。誰か教えて。池上先生に聞いてみたい。

               


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                2月28日(日曜日) そろそろまとめなくてはならないこと

                • 2016.02.28 Sunday
                • 08:54
                 

                 そろそろまとめなくてはならないことがたくさんある。

                  学校の授業も終わりが近づいてきた。先週は、授業参観用で、あわてて「おりぞめ一文字アート」を作成。担当している六年生が最後の授業参観日に合唱音楽会を体育館で開く。そのとき、図工作品を展示し、子どもたちの保護者宛の手紙を渡すという。で、壁面に一文字アートを掲示することになった。期日ギリギリ だったけれど、とりあえず間に合ってよかった。

                 担当の授業もそろそろまとめないと自分の勤務日が終わる。仕事のキリがつくのはうれしいことだが、来年も仕事があるかなと……。

                 関わっているアーレの樹のフリースクール部門のヌップの中身をまとめて、スタッフに提案することになっているので、それをまとめなくてはならない。色々なフリースクールを知っているが、中身はかなりみんなユニークである。ほとんど何もしないで、子どもに任せている「居場所」であることにこだわっているところ、学習塾みたいなところ、とにかく一様ではない。フリースクールの規模や、スタッフの思いが重要。

                 文科省の言う多様な学びといったって、文科省が自体が多様な学びなんてのと真逆の組織なんだからね。超党派議委員の組織も何を核にしているのか、報告など読んでもよく分からないところがあって、もっと努力して欲しい。ぼくの立てる案に乞うご期待を(笑)……しなくていいです。

                 そして『現代思想』四月用の原稿を書き始めた。4〜50枚になりそうだが、書けばい一ちゅうもんじゃないし……。ただ、この一年は、書くべき事、書きたいことが多い。色々とあったし、ちょっと問題だなあと思うことも多い。それに、身近な子どもたちの動きも……。乞うご期待。

                 それから四月号の「体育科教育」の巻頭エッセイを書いたのだけれど、珍しく体育専門誌からの依頼だった。テーマがニュースポーツの特集だったからだ。どんな特集になるのかすごく楽しみだが、そのときボクの学生時代にも教えてもらっていた稲垣正浩先生が2月の始めに亡くなられていることを編集部の人に教えてもらった。まったく知らなかった。

                  稲垣先生はまだ77才。前日までブログに格調高い内容で色々と書いておられる。正直、悲しかった。大学時代にオーストリアの自然体育の原書講読や体育史・ スポーツ史学の基礎と問題意識の大切さを厳しく教えてもらった。学者らしい学者だった。むろん、批判したことも沢山あったが、研究自体の成果はしっかりと 受け止めてきたつもり。合掌。

                 とりあえず、厳しい1週間になりそうな今週である。

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                  2月21日(日曜日) 子どもができると夫婦の関係はどう変わる?的講演

                  • 2016.02.21 Sunday
                  • 20:02


                   今日は、岐阜県で年四回やっている、新米パパママへのメッセージ的講話。九時半開始なので、家を7時半に出て、名鉄の駅まで。そこからあるいて10分くらいの会場へ行く。雨があがっていてよかったよ。

                   

                   毎回、2030組のお腹の大きなお母さんとお父さんがやってくる。すでにはじめて十年?くらいになる。夫婦のあり方が子どもをもうけることで変わっていくという現実があり、孤独な子育てがどれだけあぶないかということをお父さんに知って欲しいと言うことで依頼されている。50分一本勝負だ。

                   

                   

                   普通は、看護師や産婦人科医などがこういう話をするのだが、ボクの場合は、元・名古屋支部「男にも育児時間を!」連絡会の会長()として、男も育児・家事参加をという視点からの話になるのだ。最近は幼児児童虐待事件報道などもあって、子育てにおける男の参加は必然になっている。

                   

                   とりわけ、この問題は実のところ「夫婦のあり方」の問題になり、子どもができると夫婦の関係が確実に変化するので、それにどう向き合い、コントロール・調整するかということが重要な問題になる。家事を手伝うことにしたって、夫はけっこうやっているつもりでも、実のところ、妻らからすると大したことはないじゃないのということがよくある。これは、双方のものさしの違いであり、それを知ったうえでの家事育児の参加が必要になる。お互いの思いやりも具体的に考えていかなくてはならない。

                   

                   ぼくは、家事育児への男の「手伝い」から「分担へ」と言う。つまり「ヘルパー」から「パートナー」ということだ。さらに、能書きより実際に動くことが大事と、つまり、「口より手」である。自分の反省を込めていつも言うのだが、「家事育児をやってるつもりでも、本当はたいしたことないことがよくある」と。

                   

                   こうした子どもができてからの、家事や育児意識、金銭感覚、外出の頻度、友人関係、親戚関係、仕事への向かい方、二人の性的関係などが、どんなふうに変化するかを具体的に例示し、問題点を出し、心構えをもってもらいたいと思っている。

                   

                   あとは、特に出産後二ヶ月間の大変さの中での過ごし方、授乳と睡眠の問題、精神的プレッシャーを抱えている母親に、父親はどう付き合うか、どう援助するのかということを参考的に伝える。

                   

                   男は自分の父親をモデルにするので、父親になっても、自分の父親が何も家事育児に参加していないとき、自分はどうやったらいいのか分からないことがある。その点、男の悪しき伝統を切って、自分の世代から男の新しい生き方、暮らし方を子どもたちに見せて欲しいものだと思う。自分の足下から始めればよいのだからね。

                   

                   毎回、元気な若いお父さん達に会えてうれしい。今日も、ボクの話の前に、保健師さんが「妊婦のお腹の重さを経験するためのシミュレーション器具(10キロくらいの着衣状のもの)をつけてみたいお父さん手を挙げてください」というと、五人くらいのお父さんがさっと手を挙げた。なんか、やる気のお父さん達にぐっときた次第です。


                  ↓これが、妊婦シミュレーション器具です。


                   
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                    2月19日(金曜日) 水曜日に、名大教育学部で大内さんと内田さんに会う!

                    • 2016.02.19 Friday
                    • 17:04

                     

                     17日の水曜日に東京の出版社の編集者と会って、世間話をすることにした。名大の構内にシェジローというレストランができて、そこでランチしようということになった。厳しい仕事を頑張って終え、急いで名大に向かう。途中で、教育委員会の研修に向かう知り合いの若い教員に会ったので、「頑張ってね、ぼくはこれから楽しいけど……」と励ました。

                     そのレストランは、大学の先生らしきひとばかりで、大満員。さすが編集者、ちゃんと予約してあって 880円のランチをいただく。魚フライがなくて、鶏ランチとなる。いろいろと話したが、その出版社では最近本を出したばかりだけど、執筆者というより、『お・は』編集人としてぼくは話すことになる。とても感覚のいい編集者で、すごく面白かった。知人友人がつながっているんで楽しかった。

                     そのあと、教育学部に内田良さんと、そこにやってきた大内裕和さんに会う。二人で『現代思想』4月号の対談だというので、邪魔しなきゃ(ウソ)と……。二人とも、いま「ナウ」な大学の研究者で、この二人に同時に会えたことだけで、今日はラッキーだった。御挨拶して、邪魔しないようにすぐに撤退する。

                     内田さんも大内さんも、気鋭の研究者であるけれど、きわめて現代的な課題を、綿密に研究し、その問題を洗い出し、改善への運動にも関わりながら、講演活動も忙しい。

                     大内さんは旧知の仲であるが、内田さんは初対面。初対面なのに、ずっと知っている感(ま、ボクだけかも知れないけど)がして、嬉しかった。これからもよろしく的挨拶をして、おいしいミネラルウォーターをいただいて名大の教育学部を後にした。

                     名大にくると、高校時代の思いでに浸りながら、本山まで、歩く。春の兆しがするようなしないような。相変わらず、本山近辺は、歩いていても気分がいいなあ。そして、夕方からのハードな相談業務に向かう……。今日は、有意義で濃い日であった。歩数計は1万3千歩であった。


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                      親が読んでもよく分かるように書きました。

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