5月18日 パパママセミナー で願うこと

  • 2018.05.19 Saturday
  • 09:47

可児市のパパママセミナーに十年近く通って、新しくパパとママになる人たちに、子育てに役立つことを願って講話をしている。

 

特に目新しいことというよりも、原則的な話をする。子どもができると夫婦の関係は変わると言われているが、確かにそうなる。どうしても子どもを中心に家族は営まれるので。夫と妻は、父と母の役割をせざるを得ない。

 

シングルであれば、厳しさも増すが、そういう夫や妻との関係を調整する必要はないので、ある意味、そのてのストレスもなくなる。妻の立場からすれば、夫がいるのに居ないと同じという状態は厳しい。

 

出産して二ヶ月くらいがとりわけ母親は大変だということは周知の事実であるが、それをみんなで助け合えるかということは、今後の家族と子育てについては重要だよねということを話す。

 

さて、どうしてボクがこういうパパママセミナーに参加しているかというと、ひとえに、このてのセミナーは女性が中心になっているという現実があるからだ。可児市は男女共同参画という行政の意識がしっかりしているので、こうした子育てに男性も参加するべきであるという「当たり前のこと」を具体的にすすめるために、男性講師ということでボクが関わっているのだ。(30年前に、名古屋市で、男で初めて行政に「男性の育児時間の請求をした」というボク自身の経験から学んだことは。とても多かった。)

 

参加してくれているみなさんも、男性のボクが話すから、それなりのインパクトと現実味があるというになるだろうと思う。毎日、家事や育児に関わっている男性からしたら、「それで?」ということなのだろうけれど、そういう男性は少ない……というか、危惧種扱いだ。そこをなんとか突破したいということだ。それは、伝わっていると思う。

 

たとえば、「できるだけ口に出して相手に伝えよう」とか、「口より手」ということを具体的な事例で話す。家族の中で、夫も妻も「言わなくても分かっている」などという幻想は早く捨て去って欲しい。そういう「言わなくても」ということが、ないとは言わないが、「言わなくては分からない」ということはたくさんある。逆に、言えばすんでしまうようなこともたくさんある。

 

「あったりめえよ」と思っている人には申し訳ないけれど、夫が妻の出産&育児&家事などを「ねぎらう」のは当然である。でも、これも、意識して言葉にしないとダメだと思うのだ。妻へのねぎらいは、夫に余裕があるからするのではなく、必要不可欠だからするのだ。「そんなの言わなくても妻に伝わっているはずだ」という昭和の夫や父親の多くは、これについては、黙っていてください。

 

そして、不器用でも大雑把でも、夫は家事や育児に手を出そう。それを妻はねぎらおう(一般常識として)と。むろん、夫は妻の子育てが孤独にならないように、手を出すし、分担していこうという話だ。そのやり方やシェアの状況は、それぞれ夫婦が十分に考えればいいわけで、そこはボクは立ち入らない。

 

ときには「思いやり」より、「まず行動」が重要なときもある。あまり「理想的」な話は得意でないので、ずいぶんと具体的な話になる。ボク自身は台所の片付けやゴミの始末するとき、妻に「拭き上げ方」については「指導」(笑)をよく受ける……などという話をする。そして、その「指導」に腹を立てたりせず、受け流すこともあっていいと。

 

可児市はこんど、「子育て健康プラザ」を新設した。ボクの講話もそこで今回から実施したのだが、これが、素晴らしい建物で、子ども、健康というコンセプトでむろん、男女共同参画意識も高い建物になっている。

 

子ども連れのお母さんやお父さんもいらっしゃた。こうした、場所が駅前にできているのはうらやましい。だが、この建物は行政努力のたまものとしても、今後この中身を充実させるのは、市民のみなさんと行政スタッフの力量になる。楽しみである。

 

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    5月1日(月曜日) サービス労働と距離感を考える連休

    • 2018.05.01 Tuesday
    • 07:17

     天気のよい連休前半で、西の方に二泊三日で出かけた。いろいろな人に会って、まあ子どもも含めて親類縁者なんだけれど、とてもゆったりと気分的には過ごせたように思う。親戚と友人は若干違うかもしれないけれど、距離感というのは、気持ちとか精神に大きく影響すると思う。

     

     学校のように、あるいはフリースクールのように子どもとか同僚教員、スタッフとどうやって距離をとるかというのは、仕事を長く続けることに重要な意味を持つ。今回、会った、めちゃくちゃ血縁というわけでもないし、日常的にいつも顔をあわせている人たちでない場合は、やはり、会っていても楽しい。良い面だけが浮かび上がるし、久しぶりに会って、いきなり殴り合うこともない(笑)。

     

     ご機嫌はどうでしょうか?というところから始まるから、とても、素直に話が出来るし、あまり失礼なことを言うこともない。本来、だれにでも失礼なことを言う必要はないし、言ったところでだれもうれしくないのに言ってしまうと、あとで後悔の山が積み上がる……のが普通だ。そういうあさはかな失敗をしないので、楽しく過ごせる。「してあげたこと」「やってもらったこと」それがうれしいし、よかったなあ……という素直な気持ちになる。

     

     たとえば、眠るときにふとんが暖かいとか、干してくれてあるという単純だけれど、時間と労力のかかることをしてもらっていると、幸せ感がじわじわとくることは誰しもあるだろう、それを準備してくれた人が、本当は「手間だけど、しょうがないよなあ」と思っていたとしてもだ。

     ところが、学校のサービスや子どものケアにコストを払って対価をもらうような仕事になると、「こんなに一生懸命やってやったのに、なんだこのやろー」という気持ちと同時に、サービスを受ける方も「金を払っているのだから、あったりまえだろう」と思ったりする。

     

     事実、この旅行の二日目は旅館に泊まったのだけれど、布団を敷いてもらっても、当たり前だろうとか、そりゃそうだと思って、あまり、感謝的なうれしさを感じないという自分に気づいてしまう。けっこうスタッフは「おもてなし」的にやってくれているのだが、このあたりのことをもう一度ゆっくりと考えてみたい。これが、もし金銭の対価がなければ、夕食をして部屋に帰ったときに「布団が敷いてある」という現実をまのあたりすれば、「ああ、ありがたい」とか「うれしいなあ」ときっと思うだろう。

     

     荷物を部屋まで運んでくれた旅館スタッフの若い男性に「連休はお客さんがいっぱいで、大変ですね」というと、「連休にお客さんが少なかったら、終わってますから」とまさに、ホンネで。「いえいえ、ごゆっくりしていってくださいね」という返事を期待していた自分に笑えた。

     

     サービスという非生産的労働(労働の対価が明確になっている)が、どうしても疎外された労働(過剰だったり、不十分だったり、トンチンカン)になってしまうことがあり、「やっぱりマルクスは正しいな」と。結局、金がからむと、仕事が卑しく汚くなるということなのだろうか。しかし、それでも、この世の中で、金がなければ生きていけないのだから、あんまりきれい事では済まない。だが、しかし(「しかし」が多くてすみません)ほんとに気分がいいのは、いったいどうなったときなんだ!と大きな声で叫びたい気分だということもかなり確かなことだなあと思う。

     

     学校の同僚職員でも、組合や研究会でもなんでもそうだが、ある程度の距離をとりながら仕事をするということがボクの課題だった、まあ、今でもですけど。自分の考えを理解してもらいながら、相手を理解したりしなかったりを繰り返すことで毎日が過ぎていったなあと思う。親しかり、同居人しかり、仕事でもしかり……である。

     

     帰る途中で、じゃっかんさみしい商店街を歩き、そこの本屋さんで買った『村上春樹さんのところ』文庫新刊を購入して読んでいたら、村上春樹の好きなドーナッツが、シナモンリングとオールドファッションなどと書いてあって、ボクと一緒じゃないかとちょっとびっくりした。暑いような寒いようなそんな連休だった。

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      4月10日火曜日 140文字の思考で江戸時代になるかも……

      • 2018.04.10 Tuesday
      • 22:54

       

       きょうは、思いついたまま書く。いつもだけど。

       

       『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』という雑誌というか本は、1993年に創刊された。今の皇太子が結婚をし、ネルソン・マンデラがノーベル平和賞をもらった。平成5年のこの年に『ち・お』は華々しくデビューしたのだ。

       

       山田真さんから電話があって、連載をしないかい?と言われた。もちろんひきうけたが、健康教育的な「これがワタクシの保健の授業だ!」という連載。最初の授業テーマは、「死後の体力」、次が「トイレの花子さんのハンカチ・ハナ紙」、「ドラキュラの血液型」という、かなりふざけた保健の授業を連載した。しかし、実際にこの話はほぼ100%自分のクラスでやったものばかりで、子どももおもしろがっていたので書いたのだ。今読んでもおもしろい。笑えるものを書きたかったのだ。あんまり反響がなかった。結局、読者はまじめな先生や親が多かったということだろう。

       

       ときどき、編集会議にオブザーバー参加したのだが、山田さんや毛利さん、石川さんたちも、まだまだみなさん若くて血気盛んで、おもしろかった。編集会議は夜遅くなるので、今と違って日帰りせず、新宿のホテルに泊まり、翌朝6時の新幹線で名古屋へ帰って朝から授業をするという参加の仕方だった。編集委員は、みんな勝手なことばかりいって編集部を困らせていたが、困らせていることを知っていながら、どうだ!と言っている感じがした。編集部はその困った意見を調整して形にすることに自信と自負心を持っていたのだ。当時のボクの周りにはそういう人はいなかった。

       

       創刊三年後『ち・お』の記念すべき(笑)、16号「体育嫌い(ぎりゃー)でなんでいかんの〜」の編集を任されることになった。特集部分の挿絵イラストも自分でへたなカットを描いて、原稿も、そのときの仲間や友だちにお願いして編集した。恩師:影山健も元気で良い文章を書いてくれた……というかインタビュー的に。それから、愛知の管理教育批判をしていた教員の仲間にたのんで書いてもらったりして、けっこうハードな特集だったと思う。

       

       新進気鋭の武道家の甲野善紀さんも書いてくれている。そのときに彼を自分の勤務校に引っ張っていって、夜、体育館で井桁崩しをおしえてもらい、取っ組み合い投げられた(笑)。デカイ土井君も投げられていた。まあ、そんなこんなでおもしろくできた。もともと体育スポーツ批判からスタートしたボクなので、めいっぱい頑張ったつもり。ま、16号はあまり売れなかったけど(笑)。

       

       『ち・お』はみんな読んでくれていた。当時はまだ「現状の社会批判の言説」が活発に生きていたし、政治の風もゆるくだけれど吹いていた。日教組や左翼政党もそれなりに機能していた。だから、本や雑誌は読んだ、読んだふりをした、一応買うことはした。だが今は、140文字以上は、みんな読まなくなっているから、本は買わない140文字以上は眠くなるか、頭痛がするらしい。(だから今の『ち・お』や『お・は』は大変なんだよね。ボクも苦労してるけど、編集部はもっと苦労しているだろう。

       

       教員もそうだけど、親だけでなく社会全体に大人の思考も140文字以内になっているみたい。先日も街をあるいていたら、若い女の子が、CMビラ撒いている若い男の子(多分、「地域」のマイナーのアイドルグループの一人)からビラをもらって「あーうれしいー(会えて)」と言った。そしたら「まじすごいよね」とそのイケメン男の子が返していたが、ボクにはそのやりとりが「?」。ここには、言葉が抜けているなあと思う。言葉を超えているのだろうか? 自分も若い頃はそうだったんだろうか……。

       

       トランプも、長い文章は書けないからツイッターならいけそうだとSNSを使っているらしいと、あの本(「怒りと炎」)あれ「炎と怒り」だっけ、それに書いてあった。

       

       昔の『ち・お』を引っ張り出して見ていたらおもしろかった。全然古くないなあと思う。今現代の方がよほど古いと思えちゃう。この分で行くと、あと30年くらいで、江戸時代になるかもしれないなと。

       

       そういえば、今日はアーレの樹、フリースクールね、そこで角凧を近くの公園に揚げに行った。子どもたちと、平竹でしっかり作ったものを揚げたのだ。よく揚がったが、もうちょっと風があったら、もっと揚がったのにと思った。そのとき、元気な子どもが「先生、かけっこしよう」とうので、30mくらいを二度走った。多分、65歳のじじいに勝てると思ったのだろう(笑)。ま、必死になるのはちょっと大人げないし、全力で走ると肉離れを起こすといけないので、若干ゆるく走った。でも、疲れた。65歳で全力疾走はきついなあと思う。 以上

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        3月13日(火曜日) 卒業式という仕事をするということ

        • 2018.03.12 Monday
        • 22:36

         

         卒業式の練習に参加したが、子どもも先生もなかなか大変だなと思った。

         

         自分が今まで経験した卒業式について思い出した。若いころから、どうしてこんなに私たち教員は卒業式に一生懸命になるのだろうか? と疑問がいっぱいだった。今でも。先生の指導を大きく分けると「一生懸命派」と「省エネ派」に分かれる。一生懸命派は、たいていは、練習中に一度にたくさんの情報を指導するというか、伝える。指をまっすぐ、下を向くな、背筋を伸ばせ、顔を上げて見ろ、足を組むな、歩くときは間を空けろ、などなど。情報が多すぎて、子どもは困っている。

         

         子どもたちは「卒業式」ということで緊張しているから一般的に黙って聞いている……ような気がする。教員は調子に乗って(笑)、いろいろと細々と指導をする。日頃、学級でこんなに静かに自分の話を聞いてもらえることが少ないので、つまり、教室では「静かにしなさい」と繰り返し注意しなければいけないから、それに比べれば、卒業式の練習では、先生たちが大勢で味方してくれるし、子どもも沈黙しているので、気分よく話をすることができる?!?! で、調子に乗って、冗長に話す。しかも、内容は大抵はつまらない道徳的お説教が多い。以前、「岡崎先生、卒業式の練習で校長の役で子どもたちに話をすると気分がいいですねえ」というどや顔のバカヤローの同僚がいたので、「あんたの話を黙って聞かされるのは、迷惑だよ。糞のプールに落ちて息継ぎしてるようなもんだよ」と言うと、目を丸くしていた。恥ずかしくないのか!と思う。

         

         「卒業証書なんて郵送じゃだめなんですか?」と子どもに聞かれることがけっこうある。気持ちとしては賛成だ。ただ、卒業式を拒否するのは厳しい問題が山積みになっているから、なかなか郵送はできなかった。子どもたちには卒業式に晴れ着を着たいということで歓迎するむきもあるが、それは、まあいいかとは思う。卒業式にかっこいい服を着たいとか、お祝いでおいしいものを食べたいというのは理解できる。昔、校長に「岡崎君が指導すると、厳粛さがない」と言われたことがある。そもそも、卒業式を厳粛にしたいなんてこれっぽっちも思っていないから「そのとおりです」と返事をした。とにかく、簡単に練習して早くちゃっちゃと終わりたいと思うだけだ。

         

         卒業式で感激して泣きじゃくっている子どもたちは可愛いが、小学生だから許す(笑)。ま何に感動しているのか? 卒業式で感動して泣くほどのことを為してきたか? と私は心の中で思う。 でも、保護者の気持ちはよくわかる。「大きくなったなあ」と感動するのは当然だ、これからも艱難辛苦の子育ては続くけどね。とりあえず、お疲れ様でした、これからも頑張りましょう。

         

         卒業式は私にとって「学校を問い直し、教育を根本から問い直す」よい機会だった。卒業式の数日後にみんなで計画した「お別れ遠足」の方が数千倍も楽しかったなと思う。中学校はもっと簡単らしいから、いいなあと思う。

         

         

         

         

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          2018/03/02 立川市の男女平等的企画での「男子」についてのお話

          • 2018.03.02 Friday
          • 23:35

          今日は立川市の男女共同参画事業の講座で講演をしてきた。「男の子もつらいよ」という話なのだが、聞いてくれる人はほぼお母さんたちなので、「男の子の育て方はとても大変なんですよ」というのにどう答えるかという内容にならざるを得ない。

           

           一昨日に藤岡淳子さんの「DV加害者をどう立ち直らせるか」というようなテーマの研修会に参加したが、三時間みっちりの講演に少々げんなりして、いや、内容はよかったのであるが、長時間ということにね。ただししくきちんとした話に三時間も付き合うと疲れるということが分かった。で、今日は、二時間ということなので、90分ということにして、あとは質問コーナーということで。

           

           男の子が育てにくいという話はよく聞く。で、これは単なる印象批評なのか、実際的な本当の話なのか……いわゆるエビデンスというやつですが、はっきりしているかというと、そんな確定的なことや断定的なことは言えないのだ。

           

           ただ、幼少期に男と女では経験的に女の子の方が「わかりが早い」ということはあるかもしれない。断定は出来ないけど……

           男の子は、ワケのわからないことをやるし、ようするに体でぶつかってくるし、程度や加減というものを知らないと言える。しかし、これだって、体をぶつけ合っていればだんだん学習するものだが、最近は相撲やプロレスのまねごともしないので、なかなか「加減を身につける」のは難しくなっている。

           

           「さあ、すもうとろうぜ!」と体育の時間に男子にいったら、「えーっ、やだぁー」とかみんな言うので、「なんだ、おとこのくせに」という禁句を言ってしまったことがある。いや、一人や二人が嫌だというのは分かるが、クラスの男子の多くがそう言うのはビックリだった。以前なら、平気で「四の字固め」を子どもにかけていたが、最近は絶対無理だ、いや数人はおもしろがってくれるけど。「男子は元気で大暴れ」というのもそれほど簡単ではない。

           

           「Sけんをやって問題を起こしたり、けがをさせたりしたら後が大変なんですよぉぉ」と言われたことはよくあるし、今突然思い出したが、アエラでボクもそのテの特集「けがをしないでいいのか?」といった取材を受けたことがある。写真では「くっつきあめ」というゲームをやっていた。五人くらいのAチームがそれぞれ飴になり、くっつきあっているところを、Bチームが一つ一つ(一人一人)はがしていくというゲームだ。みんなで、しがみつく飴をはがすとき、かなりハードな肉体的闘争があるのだが、それを楽しむ(笑)のだ。

           

           もちろん、男子の性衝動の向き合い方もけっこう大変だが、肉体をどうコントロールするかという大事な課題も置き去りにされているような気もする。遊びの中で、身についたぶつかり合いがどんどん避けられるようになってきた。それはそれで、暴力を忌諱するという善きことではある。しかし、肉体のぶつかり合いで身につけるような何かが男子(たぶん女子にも)の成長には必要な気がしないでもない。むろんそれが単なる闘争的な格闘技などという安易な答えを求めていないことだけははっきりさせておきたいのだが。

           

           最近は、騎馬戦が小学校の運動会で危険視されて取りやめになってきている。確かに危ない。ただ、子どもたちの多くは面白がっている。多少乱暴になるから、希望で選択してやればいいと思うのだが、最初から避けてしまうこともないのではないかと思うこともある。その意味で言えば、組み体操も時間をかけて、やりたい者がトレーニングをして、筋力や敏捷生を高めて、ちゃんとした指導者ができるだけけがをしないようにするのは別にいいじゃないかと思っている。無理なことが分かっているにも関わらず見栄や勢いだけでやってけがさせるから非難を浴びるのだ。もともと「危険なことをやりがる男子」は多いのだ。

           

           いつもいうことだが、「たくましくすることと」と「木登りで落ちないようにと危険回避のために木を切ってしまうこと」は同居しないのだ。

           

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            2018年2月26日 どうしてそうなの? という迫り方??

            • 2018.02.26 Monday
            • 23:27

            「どうして、そうなの?」

             こどもたちが悪さをすると、先生は理詰めで叱責する。理詰めになるのは、「一方的に叱るだけではダメ。きちんと理由を説明して納得しないといけない」という、なにやら教育的な習慣的指示があるからだ。

             だが、子どもに説明をし、納得を求めてもダメなときがある。しかも、子どもの方も嫌がることがある。今まで、ボクは中学年くらいまでは、子ども自身でさえ、自分のしたことを論理的には、なかなか説明ができないものだと思ってきた。とりわけ男子はその傾向が強かった……経験的に。

             最近は、高学年でも「説明が下手」だ。なぜかというと、普通は自分が悪かったらまず謝罪するというのが順序で、その上で、「でも、先生、実は……」とか「聴いてくださいよ……」とくるはずだった。しかし、最近はそういうことがほとんどなく、いきなり「だって……」「ボクだけじゃあないのに……」という言い訳的感情が先に来るからだ。理屈は客観的に自分を見ることができないといけない。

             先生が「どうしてそういうことやるの?」と悪さの理由を聞きながら叱責しても、子どもたちは??? だって、悪さはおもしろいからやるのであって、それ以上でも以下でもない。だから、いくら理由を聞かれても、「ごめんなさい」という他ないのだ。

             悪さをしたら「君のやったことは良くないことだと分かっているのか?」と聞くだけでいい。分かっているのだったら、謝るほか無いわけであって、理由や言い訳はそのあとの話だ。

             先生の中には、やたらと理屈っぽい先生がいて、とうてい子どもには理解できないようなことを、ごたごたしゃべっている人がいる。

             「そもそも、あなたの日頃の様子を見ていると……」などと始まると、大抵は、二分ですむ叱責も、十五分くらいかかり、しかも、子どもは聴いているふりをしてるだけで、まったく聴いていない……のが普通。小学生くらいなら、叱るときはシンプルに叱ればいい。以前「一方的に先生はしかるだけですか?」と嫌みな聴かれ方をしたことがある、保護者から。でも、一方的に叱るなんてコトはほとんどない。かならず「君の言い分があれば、聴くが、まず、悪かったと認めるのなら謝罪が先だよな」とボクは言う。

             「一方的」というのは、ときに優先順位だったりするのだ。いくら、どんな理由があるにせよ、子どものケンカならまず、「悪いと思ったら謝罪する」ということだ。そして「悪い」と思わないのなら謝罪する必要はない。即、話し合いをするしかない。そして納得や了承がある。それは感情的であれ、不満はあれ、関係を調整するためには「謝罪と許し」が必要だということ。

             

             とにかく、悪さをしたら、その悪さをしたことを叱ればいいのであって、「そもそもあんたは……」と人格や性格、成績に結びつけてしかるのは、学校ではやめるべきだ。

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              2月1日(木曜日) 競争……嫉妬と妬み、羨望と悪魔の笑い 

              • 2018.02.01 Thursday
              • 17:38

               

               子育てや教育では「競争させる」ことが、その重要な方法になっている。本当に競争っていいものなのだろうか。ちょっと考えてみた。

               

               ボクはずっと「競争が人間を幸せにする」とか「競争によって社会は進歩する」ということについて疑問というか、疑いをもってきた。このテーマは、自分がスポーツや体育の世界から学ぶということをはじめて、最初につまずいたことだった。

               

               あるていど、身体活動が好き、得意、肯定的だったから大学は教員養成的体育科を選んだのだが(もちろん頭のデキとも相談して)、実際に体育好きスポーツ得意人間の集まりの中に入ると、それなりにまた切磋琢磨があり、「上」をめざすことになる。つまり「はてしない競争システム」に身を投じることになり、それをやめるときは「敗者」「脱落」なのである。「引退」というのは、能力の限界を自覚したということだ。

               

               私自身、そんなにすごいアスリートになれたわけでは決してないが、身体を動かすことは大好きだった。いまだにきらいではない(じじいになったので限界はある)。ただ、すごいアスリートであれ、すごくないアスリートであれ「競争」の呪縛から逃れることはすごく難しい。

               

               この「競争」の中で生まれるものに「妬み」がある。以前、ボクが書いたモノの中で「比較級社会の呪縛」という言葉を使った。競争は常に比較(くらべること)を強いるので、その中から「妬み」が生まれやすい。これは、競技やゲーム中に競争相手の失敗(ミスプレイ)を歓迎する態度に現れる。相手がサービスミスをしたりすると、つい笑いがこみ上げてくる。笑わなくても喜んでいる。相手が三振すると、よっしゃ!とガッツポーズをする。

               

               それを批判するのは簡単だが、ボクは、これをはしたないとか、フェアではないとかいうのは、ちょっと違うし、品がないなどと批判するのもなんだかなあと思っている。なぜなら、競争(勝負)はどちらかがどちらかより「優れている」ということをはっきりさせるからだ。そして、他方は「劣っている」ということだからだ。

               

               これは、「しょうがないこと」なんだけれど、負けた側は「嫉妬」「妬み」の感情がわき上がることが多い。プレイしていない当事者でも、そういう感情がわき上がる。以前、野球の試合を見に行ったとき、応援していた観客が相手チームを罵ったり、ドヤ顔で指を突き立てていたりしたシーンに出会ったことがある。

               

               また、部活を指導していたときに、観客の保護者どうしが、勝ち負けでバカにしたり、妬み言葉を吐き出していたのを聞いたこともある。負けて素直に「残念だったね」と言うのも、なんだかなと思うが、この妬み心情は、あまり気持ちの良いものではないだろうと思う。妬みは集団化すると暴力的(暴力そのもの)になる。これは事例に事欠かない。

               

               勝ち負けで「品のない行為」をすることは批判される。だから、みっともない行為はやめようという声がおきるのはわからないでもない。でも、気持ちとしては、「やったぜ」ということや、「ちぇ、なんだよ、バカヤロー」というようなものは残っている……多分。

               

               他者の不幸や失敗を喜ぶこと(シャーデンフロイデ)は、比較や競争の場では不可欠だし、構造的に生み出すものだと考えている。ボクが競争原理の排除や、競争への異議を唱えたときに、「よい競争」というのがあるのだという批判を受けたことがある。しかしなあ、「競争の勝者」にとっては「よい競争」でも、敗者にとってはよい競争なんて「皮肉」にしか聞こえない。

               

               この社会では、そんな弱きではダメです! なにくそ!と思って頑張らねば! という叱咤激励も、けっこうむなしい。競争の世界とは違う価値観が認められるそういう社会も持続可能な社会なのではないかと思う。競争しないことも生き方の一つなのだと思うし、これからは、そういう価値観こそが重要になるのではないかと強く思う。

               

               勝ち負けにこだわらずに楽しめるような場を作ることができれば、一番いいのだけれど。なかなか困難です。

               

               他人(ひと)に妬まれることはボク自身ないけれど(多分!)、出会う人にすごさを感じたり、いっぱいの充実感を感じてもそれはそれ、自分と比較することはまずしない。昨日も古くからの友人でありながら、学習のために改めて話を聞き、その立派さというか、造詣の深さやすごさを感じた医師がいるが、そういうときは、ボクは、ほんとうになんだかうれしくなるのだ。

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                2017年1月6日(土曜日)部活の問題:ブラックにしたのは誰だ?

                • 2018.01.07 Sunday
                • 09:12

                 

                 まず、来週のトークイベントについて。14日の日曜日の午後三時から名古屋のロフト(地下鉄矢場町駅)の七階ジュンク堂書店でボクと仲間二人と一緒に「トークショウ?」をする。テーマは「体育、スポーツ、オリンピック」だけど、スポーツと教育の管理問題や部活のブッラク問題についても話そうと思う。

                 

                 このイベント、元々は、恩師の影山健(愛知教育大学名誉教授)が2016年6月に亡くなり、その記念論文集『批判的スポーツ社会学の論理』(ゆいぽおと)を発刊した記念の催しである。下のサイトに詳しいので、時間のある人はぜひともおいでください!

                 

                https://honto.jp/store/news/detail_041000023757.html?shgcd=HB300

                 

                 さて話題になっている「ブッラク部活」問題だけれど、部活動に対する、かなり批判的な意見も市民権を得て、ボクが問題を提起したころにくらべ、ネットを中心になかなかみんなよく勉強していて面白いし、いいことだなあと思う。応援したい。

                 

                  ただ、ボクは部活廃止論者で、多くの論議と若干ちがっているなあと思うので少し書いておこうと思う。まず、一番肝心なことは、この部活問題は教育問題と労働条件問題にわけて考えるべきだと思うのだ。「そんなの分けられません」という人がいるが、分けるというのは別個に考えるということではなく、関係性をはっきりさせて考えようということだ。

                 

                 どんな関係性かというと、労働問題のブラック性を教育問題で論点を曖昧にするという関係だ。そして、教育問題のブラック性を「個人的幻想」に終始して、突っ込んで考えていないような気がする。

                 

                 まず、教育問題としては、それがスポーツ教育(ま、この場合運動部活に、とりあえず限るけど)としてどうなのだということだ。「一生懸命・汗と涙・やっててよかった」というのは、あくまで個人的な幻想であって、それを楽しんでいるという点においてはいいんじゃないかと思う。ただ、それは素晴らしいことだとか言われて、それが「普遍的」とは言えないのだということだ。(このあたりはオリンピックの問題と同じ:いずれまた)

                 

                 スポーツは今回のイベントでも話せたらいいなと思うけれど、一種の象徴的暴力を醸成していく。競争原理や優勝劣敗の思想を参加者にすり込む。この点においてはもう少しきちんと論議したいが、ま、ブログなんで許してほしい。

                 

                 部活動に教員が熱心なのはいろいろと理由があるだろうけれど、結局は個人的に充実しているからだし、子どももそうだろう。つまり充実できない人、部活で充実するつもりのない人は参加しないということだ。ただ、その充実は「趣味の範囲」なのか、「学校という場での公的活動」なのかということをはっきりさせなくてはならない。

                 

                 もし、趣味的な活動なら、つつましく、できれば学校の外でしっかりとクラブチームでも作って頑張ってほしいし、そうあるべきだ。そして、趣味活動なのか、趣味が高じた場合はプロへの道をめざすのかということもはっきりと示さなくてはならないだろう。

                 

                 指導者もやりたい教員もやればいいし、民間から雇ってもいい。あるいは、教員も民間のクラブチームに雇われてもいいことにすればいいのだ。入部退部も自由自在だ。費用に関してはとりあえず自己負担だが、将来的には公的負担も一部あってもいいだろう。そこで、人生論や教育論を語るのは自由だ。できれば、場所は学校でない方がいい。これは、かなり現実的な話だと思う。(けっこう、いいこというな:自画自賛)

                 

                 また、もう一つのケース。学校という場での公的活動ならば、きちんと環境整備する必要があるし、対外試合や校外公演は必要ない。教科など授業時間として行う一つの学習領域と考えて、種目や内容に選択制があってもいいし、すべての子どもにチャンスを与えるようにするべきだ。もちろん、レギュラーとか補欠という発想はあり得ない。そして、優勝劣敗の思想や競争原理思想については批判的な立場で行う必要がある。名古屋では「正課クラブ」と言って週一回やっていたが、今は年間15時間くらいかな。そんなものがよろしい。(これも、いいじゃないか)

                 

                 さて、労働条件問題としての部活は、明らかに違法だからやめましょう。これで終わり。これは、多くのみなさんが指摘しているように、「部活指導をやらせたいなら命令してください」と言うことを管理職に言うしかないし。管理職の「勤務です」という了承を得てからするべきだ。まず勤務とは言わないだろうけど。最終的に管理職は「時間外は自主的自発的労働ですから、命令はしていません」という。つまり、教育論が入る余地はないのだけれど、「子どものことを考えていない」なんていう、筋違いの話(つまり、教育論ね)を持ってくるから混乱する。

                 

                 「給特法」の廃止は賛成。ただ、そうなると、交渉能力のある労働組合がよほどしっかりしていないと、三六協定などが悪用されたり、組合攻撃がはじまっちまうぜ!と注意と覚悟を促したい。杞憂ならいいけど。本日はここまで。

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                  12月24日(日曜日)切手とパンツ

                  • 2017.12.24 Sunday
                  • 18:55

                  最近、おもしろい問答集をみつけた。こんな記事が書けたらうれしい。

                   

                  問:5年生の息子が、最近、一緒に家族でお風呂に入らなくなり、性について興味を持ちだしているように思います。私としては、お父さんがきちんと指導してくれればいいと思っているのですが、そんなことは自然でいいと、逃げています。将来、息子がパンツ泥棒になったらどうしようかと、悩みはつきません。(主婦:35歳)

                   

                  回答:男の子が性に興味を持ったり、自分の体を見せたりしたがらないのは、ごく普通のことだ。しかも、性の成長は、年齢の幅も大きく、個人差もとても大きい。心配はいらない……と思う。

                   お父さんが、自然でいいというのは、確かに、逃げだが、逆に、あまり熱心に、そして真剣に性について教えるのも、どうかと思う。学校の先生ならいざしらず、普通のお父さんが、性教育を一生懸命やっている姿は、ちょっと理解しがたいな。嫌なおやじ以外ではない。想像するとちょっと変だ。もちろん、何気なく、自然に(これが、一番難しい)教えればいいがなあ。

                   パンツ泥棒に飛躍するのも、気持ちは分からなくもないが、ちょっと無理がある。パンツ泥棒は、いけないが、合法的パンツ収集はあり得る。つまり、合法的パンツ収集はモデルガン集めや、切手収集、ポケモンカード収集と同じ質のものだ。切手は社会的に受容され、パンツは受容されにくいというのは、しかたがないが、本当は同じレベルの話だ。切手収集だって、泥棒して集めるのはいけないだろう。

                   児童買春や幼児ポルノなどは、許し難い人権の侵害であるが、合法的なパンツ収集家と同列にするのはおかしい。私は仕事に必要でもあるのだが、本の収集をしている。古本店を歩き、あの古い本のかびたような紙の臭いが大好きだ。あれだって、一つ間違ったら変態扱いだろう。古本だってパンツだって同じなのだ。

                   いずれにせよ、性的衝動の高まる子どもたちを「安全、合法」の世界に導くのも親と、社会全体の役割である。付け加えるが、私はパンツ収集に興味はない。

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                    11月26日 再度 札幌へ「学童保育研究集会 in北海道」 後編

                    • 2017.11.26 Sunday
                    • 19:12

                     講演会は午前10時15分から80分間ということだったので、「時間は守りますよ、大丈夫」と係の人には伝えた。ストップウォッチをタイマー使用にしていつも使っている。だから、ほとんど延長はない。

                     

                     テーマは「子どもから学校が見える、家庭が見える」ということで400人近い参加者を前に話す。エントランスで突然、友人に出会う。わざわざ来てくれたのだ。ありがたい。ほとんどが学童保育所など放課後の子どもたちの集う施設の指導員やスタッフだという。比較的ちゃんと(笑)した、厳かでまじめな集会で、簡単な主催者挨拶の後、国会議員や北海道議員など多くの来賓もあって紹介された。その後に基調報告がなされ、記念講演となる。

                     

                     前の方に座っている人しか見えない。なんだか自分だけがステージで照らされている感が強い。こういうステージ系講演はいくつも経験してきたが、話す相手の顔がしっかり見えないのでつらい。

                     

                     子どもの実態やリアルな言動を例示しながら、それをとりまく大人が翻弄されている話や「熱意を持って話せば分かる」という安易な考えはすてようという話をした。「やればできる」というのも、そういう「やればできる」ということもあるし、「やってもできない」ということだってあるのだとわきまえる必要があると……などなど。で、やれないことがあっても、「どってことないこと」もたくさんあるし、だからといって人として値打ちがないということではないんだよね!と強調。

                     

                     モンスターペアレントだって、よっく話を聞けば理解できることや共感できることがたくさんある。実は、その上で、「過剰だよ」「非常識だよ」「それは無理だ」「相手のことをもっと考えてよ」と伝えればいいのだと、私は思う。「過保護」を嘲笑するなと。

                     

                     とにかく、子どもは面倒くさくてやっかいで憎たらしくうっとおしい……が可愛いのだ。つまり矛盾した存在なのだ。子どもの「屁理屈」も楽しむ方法がないわけではないと具体的に話す。叱るということも「またやるだろうな」とか「わびてはいるがそれほど感じてはいないだろうなあ」等と思いつつ叱らなくてはならない。根気よくくり返すのだ。

                     

                     ……等々いつもの話を順番に話す。最後に志を高く持つことが重要だということ。いじめについても、両者の話をきける環境や習慣など、「なんでも話しなさい」などと言う前に、子どもにとって、それが可能な状況かどうかを、謙虚に検証する必要があるのだと思う。「聞いても話してくれないんですよ」などと言っていてはいけないのだ。

                     

                     教育や子育ては環境が重要であり、とりわけ「人的環境」が一番だと思う。だから、家族、学級、学童保育所、地域、子供会などは本当に子どもが育つよい環境でなくてはならない。もちろん、そこはディズニーランドではない。厳しいこともあれば、つらいこともやらなければならない場である。なにせ生活の場なのだから。しかし、私たち大人は自分の見ている方向や自分が何を大事にしているかを子どもに示すことが自然とできるはずだと思う。ああしなさい、こうしなさいという前に、すでに子どもは大人のそれを見ているのだ。だからこそ、家庭はたいへんだ。

                     

                     とまあ、そんな話をずらずらとしてしまった。本の販売コーナーでサインをしてから、昼食。午後には障害児と学童の分科会にちょっとだけ参加して失礼した。帰名するスカイマークの最終便までには時間がだいぶあるが、札幌の駅近辺を探索し、歩き回った。さすがに足がつかれ、リュックが肩にくいこんできたので、空港で喫茶店、フードコートで夕食、そこで椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』844頁を読み終わった。最後は1080円(ソフトドリンク自由)払って、スパーラウンジのカウンター席でこれを書いている。

                     

                     北海道へ行ったり来たりの日々がやっと終わる。

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                      親が読んでもよく分かるように書きました。

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