3月27日 感想文:石川晋さんの『学校でしなやかに生きるということ』を読んで

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 12:03

 

 『お・は』67号で断然、多くの人に薦めたいと書評をする石川晋著『学校でしなやかに生きるということ』(フェミックス:2016年4月刊)がある。『お・は』では600文字くらいしかスペースがない。もちろんその中で頑張って書いてみたが、若干、書き足りない点が多かったので、追加してここに書いてみたいと思う。

 

 本書は『We』誌で連載されたものを加筆編集したものである。石川さんは北海道十勝の国語科の中学校教員で1967年生まれ。著書も多く、彼のことを知る教員ファンは多くいるのだが、私自身が知ったのは遅く四、五年前。

 

 なんども、北海道へは講演に行っているのだが、そこで会えたらよかったなあと、ちょっと後悔している。とりわけ十勝へは何度も行ったので。

 

 『授業づくりネットワーク』誌だけでなく、いろいろなところで活動している石川さんを私自身が知らなかったのは、小学校と中学校ということだけでなく、私の方に「法則化」(Toss)や、そこと若干近いところもある『授業づくりネットワーク』への、ある種のむかつく(笑)想いがあったからだろうなと思う。それは、まあ、おくとして、本書を読んでいろいろと想ったことを書いていく。

 

 まず、いくつか石川さんと共通する学校への意識があることにちょっとニヤついた。最初に書かれた「善意ほど人を苦しめるものはない」というのは、ある一定のところまで(仕事としても、人間関係としても)行かないとなかなか思えないのだが、これはホントそうだよなと、私も思い続けている。むろん、善意だけでなく、悪意はもっと人を苦しめるけれど、善意は毒まんじゅうのようなところがあるから、たちが悪い。だからこそ、教員である石川さんは厳しくこう言うのだろう。

 

 若い頃、私はたたみやカーペットを教室に持ち込み子どもだけの空間を作っていたが、本書の中でもそれがきちんと論理的に展開されていることに共感した。それから、村田栄一さんの『ガリバー』への想いから「教室はハプニングが起こる場所であり、ハプニングこそが教室で学ぶことの本質だ」というところなどは、そうなんだよなと。

 

 まあ、とにかく、読んでいて子どもへの向き合い方が、つまり「どう距離を取るか」という視点を据えていることには「御意」なのだ。

 

 この本を読んでいると、私自身がよく言われる「どうして岡崎さんは、実践をかたらないのですか?」という繰り返される質問を思い出してしまう。いやいや、私も実践していますし、語っているつもりんなんですけど、というか、仕事していますから……としか言いようがない。でも、私は、実践を語るとか書くという仕事にどうしても力が入らないで、ななめに構えてしまうのだ。石川さんのように仕事を書いていても、抵抗なく読めるのはうれしい。多くの実践記録は先入観ですけど、抵抗があるので、読まない。

 

 私も、石川さんのように書ければいいんだけど、なかなかここまでの表現は私には難しい。石川さんは合唱や演劇にも堪能で、子どもたちを熱中させる。しかも、成果をあげる。つまり、「良い仕事してますね」ということに尽きるし、うらやましいし、まったく完全無欠の異議無しなのだ。しかし、その実践や成果を、どことなく、突き放しているところに、さらに共感してしまう。

 

 集団的自衛権問題では、子どもたちにぎりぎりの「問題を提起」するし、子どもたち自身の声を聞こうと、かなり根気よく接し、みごとだなあと思う。職場でもそれなりに浮くだろうなあと思うし、浮く覚悟もしているのだろうなと確信する。(浮いてなければ幸いですが、ちょっとは浮かないとダメだと私は思う)

 

 最後に一つ。実を言うと、私は、石川晋の暗黒面こそに、魅力を感じてしまうのだ。ところどころの行間に、ちらっとかげと言うよりは不可解な「ためらい」というか「達観」「居直り」のようなものを見てしまう私は、かなり不謹慎な読者なんだろうと思う。石川ファンの皆さんも、意外とそれに気づいているのではないかと思う次第であります。

 

 この3月に中学校をやめるという噂?も聞いている。ちょっと残念ではある。昔、村田栄一や遠藤豊吉が退職したとき、ぼくはむかついて文句を言ったのですけど。石川さんは許す(笑)。私のように、いつまでも学校に寄生?し、シロアリ的にいこうと思っている不良教員とは違うのだから。

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    3月24日金曜日 『おそい・はやい・ひくい・たかい』96号発刊とICT教育???

    • 2017.03.24 Friday
    • 14:30

     

     

    またまた『おそい・はやい・ひくい・たかい』96号本日発刊。特集「いまどきの反抗期、親へのアドバイス」年齢不問、出方いろいろ。ということです。

     

     ま、読んでもらうしかないのですが、事例がかなり豊富で、暴れるから、お金問題から身の回り、人のせいにするなど9ケースを挙げています。連載頁も充実しています。宮台さんの男親シリーズは「学校・教育のこれから」です。村瀬さんのアニメ評論は「『この世の片隅に』で『絵』が伝えていること」です。

     

     昨日は97号に向けて、大阪で平田オリザさんとコミュニケーションについて対談をしてきました。あっという間の2時間でしたが、いろいろとおもしろい話が聞けました。97号もじゅうじつするでしょうね。きっと。

     

     今度の学習指導要領では、プログラミング学習などと、さらにICT教育が煽られていますが、まあ、所詮はだらだら・やれやれ・あーあーと現場は健全に受け止めるとぼくは思っています。タブレットを子ども全員に配布した行政区もあるらしいですが、もうこのさい、自分で修理できないものは個人渡ししない!方がいいと思います。タブレットなんてほんとこまった機械でしょ。もちろん、大人は自分が好きで使っているんだからいいんですけどね。

     

     学校で使うとなると、タブレットは、修理を含めてのメンテナンスなど、ほんとうに手間のかかる機械です。そもそも、そこから得られる情報はそんなにすごいのだろうか??と思うのです。いや、万が一すごくても、「すごい」ことはいいことかと思うわけです。

     

     よくICT教育を推進する人が言うのですが、「心配はいりません。人間的な感情的なことや、発想などは人工知能ではむつかしいので一人歩きはしません」とか。でもね、こうした「近現代機器」は人工知能に限らずに、確実に感情や感性、そして人間の思考回路に影響を与え、変革するものだと思います、ぼくはね。

     

     なにか、「機械は使う人の問題だ!」みたいなことを言っていますが、それは半分は正しいけど、半分は間違っていると思うのです。私自身は機械が好きなのです。それは、便利だけではなく、自分の思うように操作できるという『支配欲』を満たしてくれるからです。しかし、時として、私自身が逆に支配されているのではないかと思うことがあります。

     

     なぜなら、機械は合理性と能率性(便利さ)という近代の価値意識をどんどん延長させてこそ価値があるとされているからです。そこには、非能率性への指向はありません。だからこそ、機械を使うことで、よけいに多忙化するでしょ。便利で時間短縮というのは、中身をもっと詰め込めるということです。

     

     「人工知能が人間を支配することなんてフィクションですよ」と言いますが、確かにハル(映画「2010年宇宙の旅」に出てくるコンピュータ)のような人間的支配はないでしょう。しかし、機械によって生活環境を確実に変化させ、そのうえで人間の質を変え、支配するということはあるような気がします。ま、むろん、それが幸せだと感じる人がいるかもしれませんが。(自発的隷属……?)

     

     ツイッターやFBで政治が影響を受けて動いたり、株価が変動したり、コミュニケーションがそれ一辺倒になったりしているのって「人間としての進歩」なんでしょうか。どうも、違うような気がします。たとえて言えば、あらゆるものが「140文字で思考する」ようになっていくのではないかと。それは、俳句や短歌、詩のように、短い言葉で、深い想いを伝えるというのとか違うんだよね。140字でできることは、限定的なのですけどね。

     

     人間が便利さを推進する機械によって、人間自身が不能化していくことは避けられないのかもしれませんが、それに抗い(あらがい)たい気持ちが私には強くあるんです。支配者なき奴隷化とでも言えるんですけど。思いを伝えるのは、せいぜい、こんなちんけで申し訳ないけど、ボクのブログくらいまで(字数等のコンテンツ)は必要だとおもうのだけれど。

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      3月14日火曜日の「子どもの困難を考える」……という話

      • 2017.03.18 Saturday
      • 14:06

       

       先週火曜日の夜に、杁中の幼稚園が会場で三十数名の参加者に「小学生の子どもたちの困難さ:学校から見える家庭」というテーマで話をした。一時間程度であったが、高齢のかたから、学生まで、教養と仕事の参考にと「幅広いニーズ」に応えるべく、整理して話をした。

       

       子どもたちのいまどきを話ながら、問題は大人なのだという基本は維持。この会では「発達障害児」のことについて先回の講座で専門家からお話があったようなので、それを引き継ぐような引き継がないような(笑)私の話の筋道であった。

       

       私自身は「発達障害児」が増加しているとは、ほとんど思っていない。むろん、支援が必要だという論理は分かるし、制度としてのバックアップが必要だと言うことも理解できる。それでも、なおかつ、そうした「特化」が本質的だとはあまり思えないのだ。

       

       現実的には、支援は子ども誰にも必要だし、「手のかからない子」ほど必要な支援もある。子どもたちの困難さの問題は、周囲に「子どもに対する寛容さ」が激減してしまっているところにあるのではないか……とほぼ確信的に思っている。子どもの落ちつきがないということだって、それをまあそんなもんだろうと受け止めている大人は少ない。

       

       その日は、結論的に、「本当に支援が必要なのは、親や教師たち。上から目線で、アドバイスしても共育できない。支援も吟味が必要」と話した。

       

       これは、「昔だって、落ちつきのない、こういう子はいた」と言っているのではない。落ちつきのない子が「支援を受けるべきだ」ということで、逆に特別扱いという名で排除されたり、特別隔離されたりしているから、よけいに不安で落ちつきがなくなるのではないかと思うことがあるということだ。

       

       「落ちつきのない子」とのつき合い方が下手な大人が増えてきていると思う。つまり、教師を含め、みんなちゃんとやることを陰に陽に押し付けてきている。それは、微妙な言い方をするけれど、「ちゃんと」の論理でしか判断し、動けない大人が多いということ。そして、押し付けてはいけないのではなく、子どもたちも、その押しつけをうまくかわすことができなくなっているということなのだ。

       

       で、その時に「不幸せな人間は他者を攻撃しやすい」というベタな社会心理のイロハを話しながら、子どもたちに一番いいのは、親や教師が幸せを感じ、そういう大人が子どもの周りに沢山いることが重要なのですと結論した。ま、いつもの話や講演で言うことなんですけど(笑)。「子どもにいらついたら、しばらく離れましょう」と。

       

       そういう意味で親も教師も 親と子どもの分離の難しさを理解すること。「毒になる親」は子どもに暴力と抑圧までも「愛と承認だ」と勘違いさせると確信している……なんて話をした。

       

       

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        2月25日(土曜日) 書くことは体力だ!

        • 2017.02.25 Saturday
        • 17:38

         

         そろそろ理科の授業も終わろうとしている。テストだ、成績付けだ。同時に、原稿を書くことが迫っていて毎日定期的に時間を決めてやっている。

         

         私は『ポアロ』が大好きで、現在、水曜日に再放送、土曜日にも再放送と、とりあえず、違うものを放送しているので、それを録画して見ている。同じストーリーをなんども見たけれど、それでも好きでみる。これに浅見光彦シリーズがBSであったりすると、もう原稿どころではない……が、それでも、淡々と書くことにしている。

         

         春は、四月の教育特集みたいなものが多いのか、文章を書く機会が多い。とりあえず、断ることはできるだけしないようにしている。なんども書いたが、文章を書くというのは頭脳労働でなく、肉体労働だと思う。だが、こういう文章を書きたいなあという見本みたいなものが私にはある。

         

         それは完全なマニアックな話だが、『体育の哲学』(1961年)という本に書かれている佐々木久吉先生の「体育と人間」である。内容は別として、とにかく格調高いのだ。体育教師がこんなに格調高くていいのか?というくらいだ。だが、私には書けないのである。なさけないが、まったく及ばない。佐々木先生は私の師である、影山健が父とすると、佐々木先生は祖父である。「岡崎くん、ひげを剃ってから本を読みなさい」と大学時代によく言われた(笑)。

         

         よく、「岡崎さんの書く本はおもしろい」と言ってくれるがそれは、おそらく『体育教師をブッとばせ!』(風媒社)が私の代表作と思っているからだ。それ以後『身体教育の神話と構造』(れんが書房新社)を書いているのだが、それは「本当の岡崎さんじゃないでしょ」と言われてしまう。ううむ。死ぬまでに、絶対に売れないけど、絶対にいい本を書いてやるとときどき思うが、短期記憶は忘れるのだ。

         

         さて、今日は、つまる原稿仕事に、きりをつけて、気分転換と栄を歩き、頼んでいた本『五十鈴川の鴨』(竹西寛子著)を取りにロフトのジュンク堂に行ったのだが、レジをしてくれたのが教え子の妹だった。「岡崎先生ですよね」というので、顔を見たら、すぐに思い出した。十五年くらいまえの教え子の妹さんだ。○○さんの妹さんだよねというと「そうです」と賢く応えてくれた。顔の面影に記憶ありで、そして「お母さんって相変わらず元気でしょ」と問うと、「そうなんです、すっごく元気です」と。お母さんもかなり元気で明るい人だったなあと思い出した。『気候変動』(ゲルノット・ワグナー他)もついでに購入。春の気配がする土曜日のお昼でした。

         

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          2月19日(日曜日) 新しくパパとママとなるみんなに期待する話

          • 2017.02.19 Sunday
          • 17:15

          今日は、早朝から家を出て、新しくパパ、ママになる人へのアドバイス講演に岐阜へ出向く。

           

          昨日、宮台さんと尹さんと講座に参加したときの延長のような話だった。とにかくみんなで協力し合って、孤立しないようにしましょうということを強調。助けはいろいろなところへ求めましょうということを話す。

           

          年々、講座を受ける人が増えて、すでに10年近く毎年4回話をしに行っているが、いつも新鮮に、自分自身を反省しながら、かつ、いまどきの子育てにも敏感になるために調査や実態を見聞きしてきた。

           

          最近は若いパパママは、ネットによる「検索子育て」の傾向もあるので、その危うさもよく理解していないと「ネットも使えない」ように思う。いずれにせよ、すでに、私の子どもたちと同じか、それよりも年齢が下の「パパ・ママ」であるから、時代の流れには敏感でないと話ができないなあと思う。

           

          私が話をするのは、男女共同参画的意識(笑)が強くあるからだろうし、それを期待して依頼されていると思っている。わざわざ、イクメンなどと言わなくてもいいから、妻・ママと家事育児を協働的にやろうという意志がまず必要だし、パートナーたちも諦めずに「夫も成長する」のだという気持で一緒に暮らして欲しいと思うのである。

           

          とにかく、パパの方は自分が育児家事をやっているんだと、そんなに偉そうに言う必要はないのだ。いずれにしても、会社の仕事もしんどいとは思うが、「めどがつく」という仕事が多い。とりあえず、やれば、区切りがつけられる。しかし、子育てや家事は、いつまでも延々と続くし、いつ終わるかなんてまったく分からない。子育ては楽しくもあり、苦しくもありなのだ。覚悟はいるけどね。

           

           

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            2月5日(日)「男性の生きづらさ」中村彰さん講演会 IN Nagoya

            • 2017.02.05 Sunday
            • 17:55

             

             今日は中村彰さんの講演会を聞きに行った。テーマは『男性の生きづらさを考える』ということ。中村さんは『男性学』ができあがったころからの研究かつ活動をしてきたひとで、私もいくつかの論文を読んだり、講演を聞かせてもらって学んできた。

             

             以前から、私は男性学を『男生学』として、自分なりに展開してきた。たまたま男性の育児時間請求をはじめて名古屋でしたということで、この世界?に入っていったのだけれど、そのおかげで、中村さんたちのメンズリブ研究や活動に触発されていった。その意味では、ご挨拶もしっかりできなかったが、自分なりに想いのある講演会だった。

             

             今、実は……というほどでもないけど、私は「男性差別」についていろいろと考えている。女性差別はガラスの天井で、ほんとに懲りないくらいまだ残っているので闘いは続くし、それを支持していくスタンスなんだけれど、同時に男性の加害者性だけでなく、男性自身も差別されてはいないだろうか?という点も考えてみたいと思ってきた。

             

             それは、「男は泣くんじゃない」という一般的な檄に象徴されるように、「男は強くあらねばならない」という価値の枠組みに押しつぶされている、その状況が、かなりしんどい話なのではないかということだ。「肩の力を抜きなさい」と言われても、なかなか抜けないという現実があるからだ。で、「肩の力を抜けばいいんだろうか、それで、解決するんだろうか? もし、そのほかに、肩の力を抜いても大丈夫であるための条件はなんだろうか?」と考える。

             

             以前、学校で注射(インフルエンザ予防接種)を打っているときに、一年生の男子が、「なんで、いつも男子が先にうつんだよぉー」と泣いていたことがあった。「男なんだからガマンせぃ」と若かった私は、いまではあり得ないけど、一喝したのだが、今思うと、つくづく男子が先というのがおかしなことだ。つまり、今、ほとんどの学校では男女混合名簿だが、これは、性別を分ける意味がないこと、「いつも男子が先」は平等性に欠くということから来ている。

             

             この男女混合名簿論議もいろいろあったし、私もかなり先駆的に取り組んだのだが、いつも男子が先というのもちょっと待てよと思ったことはじじつだ。しかし、「男子が先」で女子を差別しているとしたら、女子が先で男子を差別していることはないのか? あるいは、そもそも後先という考え方が問題なのだろうかと……いろいろ考えるわけです。

             

             「レディスディー割引」というのもなんだかなあと思う。もちろん安くサービスされることはいいことだと一応思う。ただ、メンズディも最近はできたのでうれしいが、それなら、LBGTはどうなるのだと思う。SOGI(様々な性的指向・性自認)の人とかも困るだろう。余談だけど。シニア割引はいいのか? 大金持ちのシニアには割引する必要ないだろ、十倍取るのが平等だ、という友達もいたけど。

             

             「男性権力」っていうのが、あるとすると、そもそも何かと考えてきたけれど、なかなか難題だ。こういう「男性もきついんだ」みたいなことをいうと浅薄なフェミニズムからは指弾されることがあるので慎重さが必要だ。ただ、男だって弱音を吐いてもいいんだとか、男だからといって強がる必要はないんだと言われるけれど、なぜそれがなかなか男に受け入れられないかを考えてみたいと思っている。男は「ガラスの地下室」なんだそうだ。見えない壁に囲まれて出られなくなっているという比喩なんだけど。ううむ……。

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              1月8日(日) 「夫婦闘争」としての『ゴーン・ガール』

              • 2017.01.08 Sunday
              • 21:15

               

               新年だからといって改まる必要があるかというと、別にどちらでもいいような気がする。年賀状を出したり、受け取ったりするのは楽しい。しかし、要は本人の気持ちの問題なのある。新しい目当てや、継続したい課題がはっきりしたり、しなかったりするので、それを表現するかどうかだろう。とりあえず、今年もそこそこ元気に暮らしていければいいなあと思う。どうぞよろしくお願いします。

               

               今回、年末に突然の整理と整頓があり、年明けもそれがまだ残っていたので、正月三ケ日も気分的には落ち着かなかった。だが、一方で、子どもたちや孫にあえたのはうれしかった。

               

               とにかく、読みたい本がなかなか読めないということにいらだつ毎日だ(笑)。やっと『啓蒙思想2.0』を読み終わった。こういう本を読むと、また引用されたり参照されている本が何冊も読みたくなる。一月二月は原稿生産が重なることも多いが、今年は特に『お・は』とは別の雑誌の特別編集も手伝うことになったので、若干書くことが多くなると思う。しかし、勉強せずに書くことはできないので、そのあたりが「オカザキのジレンマ」である。

               

               ところが、というか、だからこそ、忙しく落ち着かない正月に、映画『ゴーン・ガール』をDVDで観た。かなりおもしろかった。原作はギリアン・フリンの同名小説でなかなかの物語だ。サイコスリラーという触れ込みだが、いやいやなかなかどきどきさせるし、夫婦というものを、恐ろしく深く考えさせる。☆四つ。

               

               原作の小説のエンディングで、新たな夫婦の闘いに向かう主人公ニック(男性)にむかって「文字通り、核家族になるわよ、意味わかる? そのうち爆発するわ。どかんとね。」とニックと双子の姉にいわせている。小説の方(小学館文庫上・下)が、より視覚的で、創造的で、映画よりサイコホラー的かもしれない。健康な方には、ぜひおすすめしたい映画である。ここまで夫婦闘争を明確にして描いたものは「死の棘」以来だな(笑)。死の棘より怖いのは、夫婦とも棘なところだ。

               

               

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                2017年1月5日木曜日 一緒にやって学ぶこと

                • 2017.01.05 Thursday
                • 11:50

                 

                20代前半の小学校の先生が、相談があるというので食事をしながら話を聞いた。今のところ元気というが、子どもに手を焼いているそうだ。むろん、手のかかる子はどこにもいるし、私たちの仕事は「手をかけてなんぼ」の商売だということを話した。しかし、その先生の悩みの根っこには職場の同僚の問題があるようだった。

                 

                簡単に言ってしまえば、教員になって数年目なのに、先輩たちの自分への指導がほとんどないというのだ。あっても、どうも形式的で、実際的ではないらしい。彼女が言うには、ただ「頑張れ」という叱咤激励ばかりで、どう頑張ったらいいのかという具体的はアドバイスがほとんどないという。それはかなりまずい状態で心配になった。

                 

                若い先生の相談に乗ることがよくあるが、精神疾患になったり、仕事を辞めてしまったりする原因は、子どもや親とのトラブルよりも、「職場・同僚とのトラブル、ストレス」が多いように思う。校長から「若い先生の世話をしてほしい」と頼まれたことが何度もある。頼まれなくてもやるのだけれど、若い人との仕事は確かに気を使う。「叱るとすぐに すねてしまう」「返事はいいが、実が伴わない」「偉そうで、格好ばかり気を使う」「子どものウケばかり狙って、きちんと叱らない」など。ベテランが愚痴を言うのも分かる。

                 

                だが、とにかく一緒に授業や作業をして学んでもらうしかないと私は思っている。おそらく年配の教員がイラつくところは「常識がない」とか「こんなことも分かっていないのか」という若い人の幼さが目立つときだ。だからこそ私は、学級花壇の水やりの仕方、黒板での線の引き方、黒板前の立ち方、教室の掃除の仕方・させ方、プリントの作り方など、細かいことを「知ってると思うけどさ…」と言いながら、やって見せ、一緒にする。「こんな本を読み聞かせると、子どもは静かになるよ」など教える。

                 

                とりわけ子どもを前にしての声のかけ方や、指示の仕方、叱り方やほめ方も、一緒に授業をやったり、生活指導をしたりする中で実際に見せ、あとでポイントを伝える。マニュアル本より役に立つ。一番大事なのは、タイムリーな「今この時の現場」での指導や助言だ。そして、原則をくり返して伝える。

                 

                現場が忙しく、複雑になっているのは確かだ。指導する先輩たちも自分のクラスや仕事のことで精いっぱいかもしれない。しかし、だからこそ、つまらない仕事は拒否し、日常的に若い人たちに「テク」を伝える機会をつくりたい。「忙しそうで先輩に尋ねるのも申し訳なくて」と若い人に言わせるようでは残念である。

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                  12月29日(木) 学習指導要領が変わるけれど……肝腎なことは……

                  • 2016.12.29 Thursday
                  • 09:14

                   

                   学習指導要領が改訂になる。そのために、全国では今、新指導要領実施にそった教育計画作成に向けての「研修会」がさかんだ。関係書籍もたくさん出版されているし、文科省のHPサイトも動画サイトなどの資料が豊富だ。

                   私の職場でもそうした研修に参加した教師たちの「報告会議」がされている。周囲の教師仲間と話すと、感想として多いのは、「また大変だなあ」とか「新しくなっても、なんだかなあ」というものが多い。少なくとも「さあ、新指導要領でがんばるぞ!」という声はまだ聞いていない。こまかいところも、その経過経緯がはっきりしない。危機感や「今やこういう時代だ!」みたいな話ばかりで、「……そうはいうけど、現場感覚ではさ、……だからさ、わたしたちはこう考えるんだよね」ということの入る余地はないような進め方だ。

                   学習指導要領というのは、文科省が定める「学校で教える目標と内容」である。日本全国の子どもたちが学ぶべき学習の内容を文部科学省、つまり国家が「勝手」に定め、それに沿った教科書や教材を作り、全国の学校へ行き渡らせるのである。

                   しかし、70年前の戦争教育の反省から、「国家がそんな事を勝手に決めて良いのか。教師や保護者が論議しながら教育内容は決めるべきではないか。思想統制ではないか」という考えが多かったころは、学習指導要領の法的拘束力を問題にした裁判が各地で行われた。今でもときどき起きてはいるが。

                   とりわけ政治性の強い問題については、国家の拘束力を減じようとする考えと、国家の拘束力は重要だという考えがぶつかることが多い。歴史的にも、いまだに論争の続いている問題に関しては、国家からの自由な論議が教育現場では必要だとボクは断然思っている。

                   しかし、そうした課題や内容以前に、現場はその学習指導要領に振り回されている感じがしてならない。生活科や総合的学習が登場したのは、前の学習指導要領である。しかし、それらが「ゆとり世代」批判となり、低学力論争が起き、いきなり学習内容が増えたのも今の学習指導要領である。実は学力低下はそれほど深刻ではなかったということから、今度は「主体的に学ぶ」ことを重視しようというのだ。学力は「向上」したらしいけど……。

                   学校現場は、新学習指導要領の改訂で、さらに多忙化し複雑化し、今以上に疲弊していくような気がする。その影響を一番被るのは子どもたち自身である。むろん、そこで働いている教師も、子育てに苦労している親もだ。

                   残念だが、文科省は「忙しくする戦略」は安易に政策を立てるのだが、「ゆとりを持って子どもをじっくり見守る」という一番必要なことについては、無策としか言えない。上からの「命令」はすみずみまで行き渡るのだろうが、下からの「悲鳴」は届かないと言って良いだろう。

                   夕鶴のつうのように、機織りに使える羽もなくなったのだから、せめて飛んで逃げ、生き延びたいが、それも、子どもを目の前にして躊躇する。教師も人間である。最後の羽を使い果たすようなことをしてはならない。

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                    12月25日(日曜日)  「指導者の子ども像をはっきりさせる」ってさあ……なんだかなあ

                    • 2016.12.25 Sunday
                    • 21:20

                    ヒルズトップ「むかし、岡崎さんって、よく研究授業の検討会で、ぶーぶーいってましたよね」

                    岡崎「そうそう、なんかさ、終わった後に、偉そうに、ぐちゃぐちゃ言うなよっておもうんだよな」

                    ヒルズトップ「でもさ、授業前の検討会でも、けっこうぐちゃぐちゃ言っていたようなきがする……」

                    岡崎「そうそう、なんかさ、授業する人にやりたいようにさせればいいじゃんっておもうんだよな」

                    ヒルズトップ「だったら、まえもあとも何にも言えないじゃないの」

                    岡崎「そうそう、えらそうに、授業のことに口出すなよっておもうんだよな」

                    ヒルズトップ」「そうなると、進歩がないんじゃないですか」

                    岡崎「進歩なんて、しないんだよ。そう簡単に、進歩なんかしなくていいんだよ。進歩なんて幻想だよ」

                    ヒルズトップ「……、でも……、あのころ、いまもか、管理職や主任のだれかが意見言うと、『それはおかしい』『ボクはそう思わない』ってすぐいってましたよね、そう言った後に意見をどう言おうか考えていたでしょう」

                    岡崎「そうだっけ、忘れたな。最近、リフレクションとか言ってさ、なんだバカヤローだよな。結局、反省しろだろ!」

                    ヒルズトップ「いや、反省とは違うんですよ。そんな個人的なものだけじゃなくて、構造的に……」

                    岡崎「分かった、分かった。最近、そういう横文字とか省略アルファベットが多くないかい? どっちかいうと笑えるんだよな。本当に横文字でなくては表現できない内容ならいいと思うけど、どうも底が浅いような気がする。こないだも、UDとかいうので、「うなぎどんぶり」かと思ったら、ユニバーサルデザインなんだってね。笑えたよ。ユニバーサルデザインって言やあいいじゃないか。そもそも、ユニバーサルデザインだって、論議百出なんだろ。」

                    ヒルズトップ「まあ、でも、そのへんはあんまりこだわらなくてもいいような気がしますけどね」

                    岡崎「前さ、市教委の奴が来て、『岡崎先生はどんな子どもゾウをお持ちですか?』っていうので、子どもの象なんか、飼ってないよと言ったら、だれも笑わないんだからまいったよ」

                    ヒルズトップ「笑うわけ無いでしょ」

                    岡崎「だいたい子ども像ってなんだよ。こんな子どもになって欲しいなんて、そう簡単に言えないだろう、普通。言ったってならないし。子どもに『いやあ、君たちねえ、先生は、君たちに、こういう子どもになって欲しいんだよね』なんて言えるぅ? そういうのは、心の中でそっと願うもんだろ」

                    ヒルズトップ「いや、そのね、自由に表現できるとか、自分の意見を学習した内容でまとめられるとか、もっと大きく言えば、協力を大事にするとかさ……いろいろあるでしょ」

                    岡崎「そうそう、いろいろあるから、言えないじゃないの。ケースバイケースだよ。ちょっとくらいへそ曲がっていたりした方がおもしろいこともあるだろ。みんながまじめにやっているときに、それをずらすような意見が言えるとか。逆に、いつも、たんたんと仕事的に学習してる子とかもいいよな。でも、そんな小僧を子ども像とか言う必要ないよ。」

                    ヒルズトップ「ううん、ちょっとちがうんだけどなあ」

                    岡崎「だいたい、教師の考える子ども像なんてどうだっていいじゃないか。よけいな御世話だよ。そんなこと言っているから、ピーマン的に偉そうになるんだよ。できないことがたくさんあってもいいし、憎らしい子どもがいたっていいんだよ。それがクラスでしょ。なんでもできる奴なんて、コノヤローとか思うでしょ? とりあえず、元気ならいいじゃないの、そう思うでしょ」

                    ヒルズトップ「ちょっと、誤解していますね」

                    岡崎「そうかあ、いろんな先生がいるんだなあ。よくわかったよ。」

                    ヒルズトップ「それは、ぼくも同じです」

                    岡崎「不毛な論議だったかな?」

                    ヒルズトップ「そうかもしれませんね」

                     (つづく)

                    *今日の写真は散歩のルートです。

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