1月8日(日) 「夫婦闘争」としての『ゴーン・ガール』

  • 2017.01.08 Sunday
  • 21:15

 

 新年だからといって改まる必要があるかというと、別にどちらでもいいような気がする。年賀状を出したり、受け取ったりするのは楽しい。しかし、要は本人の気持ちの問題なのある。新しい目当てや、継続したい課題がはっきりしたり、しなかったりするので、それを表現するかどうかだろう。とりあえず、今年もそこそこ元気に暮らしていければいいなあと思う。どうぞよろしくお願いします。

 

 今回、年末に突然の整理と整頓があり、年明けもそれがまだ残っていたので、正月三ケ日も気分的には落ち着かなかった。だが、一方で、子どもたちや孫にあえたのはうれしかった。

 

 とにかく、読みたい本がなかなか読めないということにいらだつ毎日だ(笑)。やっと『啓蒙思想2.0』を読み終わった。こういう本を読むと、また引用されたり参照されている本が何冊も読みたくなる。一月二月は原稿生産が重なることも多いが、今年は特に『お・は』とは別の雑誌の特別編集も手伝うことになったので、若干書くことが多くなると思う。しかし、勉強せずに書くことはできないので、そのあたりが「オカザキのジレンマ」である。

 

 ところが、というか、だからこそ、忙しく落ち着かない正月に、映画『ゴーン・ガール』をDVDで観た。かなりおもしろかった。原作はギリアン・フリンの同名小説でなかなかの物語だ。サイコスリラーという触れ込みだが、いやいやなかなかどきどきさせるし、夫婦というものを、恐ろしく深く考えさせる。☆四つ。

 

 原作の小説のエンディングで、新たな夫婦の闘いに向かう主人公ニック(男性)にむかって「文字通り、核家族になるわよ、意味わかる? そのうち爆発するわ。どかんとね。」とニックと双子の姉にいわせている。小説の方(小学館文庫上・下)が、より視覚的で、創造的で、映画よりサイコホラー的かもしれない。健康な方には、ぜひおすすめしたい映画である。ここまで夫婦闘争を明確にして描いたものは「死の棘」以来だな(笑)。死の棘より怖いのは、夫婦とも棘なところだ。

 

 

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    2017年1月5日木曜日 一緒にやって学ぶこと

    • 2017.01.05 Thursday
    • 11:50

     

    20代前半の小学校の先生が、相談があるというので食事をしながら話を聞いた。今のところ元気というが、子どもに手を焼いているそうだ。むろん、手のかかる子はどこにもいるし、私たちの仕事は「手をかけてなんぼ」の商売だということを話した。しかし、その先生の悩みの根っこには職場の同僚の問題があるようだった。

     

    簡単に言ってしまえば、教員になって数年目なのに、先輩たちの自分への指導がほとんどないというのだ。あっても、どうも形式的で、実際的ではないらしい。彼女が言うには、ただ「頑張れ」という叱咤激励ばかりで、どう頑張ったらいいのかという具体的はアドバイスがほとんどないという。それはかなりまずい状態で心配になった。

     

    若い先生の相談に乗ることがよくあるが、精神疾患になったり、仕事を辞めてしまったりする原因は、子どもや親とのトラブルよりも、「職場・同僚とのトラブル、ストレス」が多いように思う。校長から「若い先生の世話をしてほしい」と頼まれたことが何度もある。頼まれなくてもやるのだけれど、若い人との仕事は確かに気を使う。「叱るとすぐに すねてしまう」「返事はいいが、実が伴わない」「偉そうで、格好ばかり気を使う」「子どものウケばかり狙って、きちんと叱らない」など。ベテランが愚痴を言うのも分かる。

     

    だが、とにかく一緒に授業や作業をして学んでもらうしかないと私は思っている。おそらく年配の教員がイラつくところは「常識がない」とか「こんなことも分かっていないのか」という若い人の幼さが目立つときだ。だからこそ私は、学級花壇の水やりの仕方、黒板での線の引き方、黒板前の立ち方、教室の掃除の仕方・させ方、プリントの作り方など、細かいことを「知ってると思うけどさ…」と言いながら、やって見せ、一緒にする。「こんな本を読み聞かせると、子どもは静かになるよ」など教える。

     

    とりわけ子どもを前にしての声のかけ方や、指示の仕方、叱り方やほめ方も、一緒に授業をやったり、生活指導をしたりする中で実際に見せ、あとでポイントを伝える。マニュアル本より役に立つ。一番大事なのは、タイムリーな「今この時の現場」での指導や助言だ。そして、原則をくり返して伝える。

     

    現場が忙しく、複雑になっているのは確かだ。指導する先輩たちも自分のクラスや仕事のことで精いっぱいかもしれない。しかし、だからこそ、つまらない仕事は拒否し、日常的に若い人たちに「テク」を伝える機会をつくりたい。「忙しそうで先輩に尋ねるのも申し訳なくて」と若い人に言わせるようでは残念である。

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      12月29日(木) 学習指導要領が変わるけれど……肝腎なことは……

      • 2016.12.29 Thursday
      • 09:14

       

       学習指導要領が改訂になる。そのために、全国では今、新指導要領実施にそった教育計画作成に向けての「研修会」がさかんだ。関係書籍もたくさん出版されているし、文科省のHPサイトも動画サイトなどの資料が豊富だ。

       私の職場でもそうした研修に参加した教師たちの「報告会議」がされている。周囲の教師仲間と話すと、感想として多いのは、「また大変だなあ」とか「新しくなっても、なんだかなあ」というものが多い。少なくとも「さあ、新指導要領でがんばるぞ!」という声はまだ聞いていない。こまかいところも、その経過経緯がはっきりしない。危機感や「今やこういう時代だ!」みたいな話ばかりで、「……そうはいうけど、現場感覚ではさ、……だからさ、わたしたちはこう考えるんだよね」ということの入る余地はないような進め方だ。

       学習指導要領というのは、文科省が定める「学校で教える目標と内容」である。日本全国の子どもたちが学ぶべき学習の内容を文部科学省、つまり国家が「勝手」に定め、それに沿った教科書や教材を作り、全国の学校へ行き渡らせるのである。

       しかし、70年前の戦争教育の反省から、「国家がそんな事を勝手に決めて良いのか。教師や保護者が論議しながら教育内容は決めるべきではないか。思想統制ではないか」という考えが多かったころは、学習指導要領の法的拘束力を問題にした裁判が各地で行われた。今でもときどき起きてはいるが。

       とりわけ政治性の強い問題については、国家の拘束力を減じようとする考えと、国家の拘束力は重要だという考えがぶつかることが多い。歴史的にも、いまだに論争の続いている問題に関しては、国家からの自由な論議が教育現場では必要だとボクは断然思っている。

       しかし、そうした課題や内容以前に、現場はその学習指導要領に振り回されている感じがしてならない。生活科や総合的学習が登場したのは、前の学習指導要領である。しかし、それらが「ゆとり世代」批判となり、低学力論争が起き、いきなり学習内容が増えたのも今の学習指導要領である。実は学力低下はそれほど深刻ではなかったということから、今度は「主体的に学ぶ」ことを重視しようというのだ。学力は「向上」したらしいけど……。

       学校現場は、新学習指導要領の改訂で、さらに多忙化し複雑化し、今以上に疲弊していくような気がする。その影響を一番被るのは子どもたち自身である。むろん、そこで働いている教師も、子育てに苦労している親もだ。

       残念だが、文科省は「忙しくする戦略」は安易に政策を立てるのだが、「ゆとりを持って子どもをじっくり見守る」という一番必要なことについては、無策としか言えない。上からの「命令」はすみずみまで行き渡るのだろうが、下からの「悲鳴」は届かないと言って良いだろう。

       夕鶴のつうのように、機織りに使える羽もなくなったのだから、せめて飛んで逃げ、生き延びたいが、それも、子どもを目の前にして躊躇する。教師も人間である。最後の羽を使い果たすようなことをしてはならない。

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        12月25日(日曜日)  「指導者の子ども像をはっきりさせる」ってさあ……なんだかなあ

        • 2016.12.25 Sunday
        • 21:20

        ヒルズトップ「むかし、岡崎さんって、よく研究授業の検討会で、ぶーぶーいってましたよね」

        岡崎「そうそう、なんかさ、終わった後に、偉そうに、ぐちゃぐちゃ言うなよっておもうんだよな」

        ヒルズトップ「でもさ、授業前の検討会でも、けっこうぐちゃぐちゃ言っていたようなきがする……」

        岡崎「そうそう、なんかさ、授業する人にやりたいようにさせればいいじゃんっておもうんだよな」

        ヒルズトップ「だったら、まえもあとも何にも言えないじゃないの」

        岡崎「そうそう、えらそうに、授業のことに口出すなよっておもうんだよな」

        ヒルズトップ」「そうなると、進歩がないんじゃないですか」

        岡崎「進歩なんて、しないんだよ。そう簡単に、進歩なんかしなくていいんだよ。進歩なんて幻想だよ」

        ヒルズトップ「……、でも……、あのころ、いまもか、管理職や主任のだれかが意見言うと、『それはおかしい』『ボクはそう思わない』ってすぐいってましたよね、そう言った後に意見をどう言おうか考えていたでしょう」

        岡崎「そうだっけ、忘れたな。最近、リフレクションとか言ってさ、なんだバカヤローだよな。結局、反省しろだろ!」

        ヒルズトップ「いや、反省とは違うんですよ。そんな個人的なものだけじゃなくて、構造的に……」

        岡崎「分かった、分かった。最近、そういう横文字とか省略アルファベットが多くないかい? どっちかいうと笑えるんだよな。本当に横文字でなくては表現できない内容ならいいと思うけど、どうも底が浅いような気がする。こないだも、UDとかいうので、「うなぎどんぶり」かと思ったら、ユニバーサルデザインなんだってね。笑えたよ。ユニバーサルデザインって言やあいいじゃないか。そもそも、ユニバーサルデザインだって、論議百出なんだろ。」

        ヒルズトップ「まあ、でも、そのへんはあんまりこだわらなくてもいいような気がしますけどね」

        岡崎「前さ、市教委の奴が来て、『岡崎先生はどんな子どもゾウをお持ちですか?』っていうので、子どもの象なんか、飼ってないよと言ったら、だれも笑わないんだからまいったよ」

        ヒルズトップ「笑うわけ無いでしょ」

        岡崎「だいたい子ども像ってなんだよ。こんな子どもになって欲しいなんて、そう簡単に言えないだろう、普通。言ったってならないし。子どもに『いやあ、君たちねえ、先生は、君たちに、こういう子どもになって欲しいんだよね』なんて言えるぅ? そういうのは、心の中でそっと願うもんだろ」

        ヒルズトップ「いや、そのね、自由に表現できるとか、自分の意見を学習した内容でまとめられるとか、もっと大きく言えば、協力を大事にするとかさ……いろいろあるでしょ」

        岡崎「そうそう、いろいろあるから、言えないじゃないの。ケースバイケースだよ。ちょっとくらいへそ曲がっていたりした方がおもしろいこともあるだろ。みんながまじめにやっているときに、それをずらすような意見が言えるとか。逆に、いつも、たんたんと仕事的に学習してる子とかもいいよな。でも、そんな小僧を子ども像とか言う必要ないよ。」

        ヒルズトップ「ううん、ちょっとちがうんだけどなあ」

        岡崎「だいたい、教師の考える子ども像なんてどうだっていいじゃないか。よけいな御世話だよ。そんなこと言っているから、ピーマン的に偉そうになるんだよ。できないことがたくさんあってもいいし、憎らしい子どもがいたっていいんだよ。それがクラスでしょ。なんでもできる奴なんて、コノヤローとか思うでしょ? とりあえず、元気ならいいじゃないの、そう思うでしょ」

        ヒルズトップ「ちょっと、誤解していますね」

        岡崎「そうかあ、いろんな先生がいるんだなあ。よくわかったよ。」

        ヒルズトップ「それは、ぼくも同じです」

        岡崎「不毛な論議だったかな?」

        ヒルズトップ「そうかもしれませんね」

         (つづく)

        *今日の写真は散歩のルートです。

        12月15日 影山健追悼の文章

        • 2016.12.15 Thursday
        • 21:08

         スポーツ社会学の学会の担当から依頼されて、師 影山の追悼文を書いてみた。やはり、先生は偉大だったなあと……つくづく思う。

         

          影山健先生の残したもの:問い続けることの希望を示した先生

         

         影山健先生が昨年2016年の6月16日に亡くなられた。3月末にお見舞いに伺ったときには、ご自宅の病床ではあったが、手元にオリンピック関連の新聞の切り抜きや雑誌を置いて、「東京オリンピックにはきちんと反対しないといけない。問題をいんぺいするのは駄目だ」と繰り返し私に訴えられた。

         影山先生は私にとって第一の恩師であると言って憚ることはない。スポーツ社会学や教育への洞察を学んだだけでなく、「生き方」さえも先生から教えを受けたと思っているからだ。先生のことを思い返すと、私の不十分さや至らなさが多くて、先生にはもうしわけないことばかりだった。それでも、20代のはじめから先生に指導を受け、一緒に研究し、市民運動や政治的な活動をしたことはすこぶる楽しかったし、貴重な経験ばかりで、そこから学んだことは大きかった。極私的なことにもなろうかと思うけれど、戦後の体育・スポーツ社会学へいくつも重要な提言をされてきた「影山健」という人間について少しばかり書いてみたい。

         

        1 影山先生との出会い

         1970年代「体育・スポーツ社会学」には、活気のある研究者(私にとっては先生ばかりだが)がたくさんおられて意気盛んだった。私は1971年に愛知教育大学の保健体育科に入学し、二年生後半から、佐々木久吉先生のゼミ生となった。『精神としての身体』(市川浩)やメルロポンティの身体論がブームで、私も身体論をテーマに選んだ。学内では大学闘争が収束し、静かになっていた。授業は佐々木先生の「体育科教育学」以外は、興味がわかず、佐々木先生の授業とドイツ語以外は、ほとんど授業に出なかった。佐々木先生と数人で「宇宙における人間の地位」というM.シェラーの原書を読んでいた。当時の私は仲間と「大学授業のカリキュラムは自主的に、評価は自己評価で」という学生闘争を教官相手にしていたので、それ以外は「ああ、つまんない」と毎日過ごしていた。ある日、佐々木先生に突然呼ばれ、「影山健というスポーツ・体育社会学の研究者が東京にいるので、卒論は彼に指導してもらいなさい」と言われたのだ。

         

         それから、一か月か二か月に一回、上京し、当時、都立大学におられた影山先生のところに通うことになる。しかし、先生は私の論文の話など聞かずに、もっぱら、自分のテーマについて蕩々と話す。当時計画中の「スポーツを考えるシリーズ全五巻」(大修館1977年刊)の企画書を私に見せながら、編集の難しさやおもしろさをいくつか話してくれた。

         

         京都の体育・スポーツ社会学合宿研究会にも誘われ、機能主義的社会学の方法論が席捲している中で、私はマルクス主義社会学やフランクフルト学派の社会学をこざかしく先輩研究者にぶつけた。先生は、それを笑ってながめながら、「まあ、とにかく、たくさん読んで書きなさい」と言うので、何を読めばいいですか?と聞くと、「なんでもいいんだよ、読みたいものをどんどん読む、どうせ分かることしか分からないし、分からないことは分からないんだから……」と言われ、その言葉で、かなり元気になった。その研究会で、当時は影山先生が体育・スポーツ社会学の研究者としてのリーダーの一人なのだということも確認できたのだった。

         

         スポーツ史の稲垣正浩先生が愛知教育大学に赴任されたのが、ちょうどその頃だった。稲垣先生にとってはスポーツ史学の確立の初期で、研究で使う言葉にはきわめて厳しかった。稲垣先生の引っ越しの手伝いに行ったとき「影山先生はスポーツをどう定義されているのか?」と、私に尋ねられた。同じくらいの年齢で、影山先生に対する研究者としての「ライバル的殺気」を稲垣先生から感じたし、それを影山先生に伝えたときのキッとした先生の顔にもやはり「ライバル的殺気」を感じ、日頃は穏やかなのに、いざ、研究になるとすごいなあと感じたことは忘れがたい。お二人は、岸野雄三と竹之下久蔵という大御所のそれぞれの師弟であり、分野は違えどもお互いに気になっているのだろうなと思った。最後まで稲垣先生と影山先生は、違う方法論と研究者としてのあり方をそれぞれ徹底的に貫かれた。今、お二人がいらっしゃったら「東京オリンピック」への問題提起を一緒にできたかもしれないなと思ったりする。

         

         私は一年大学に残り、翌年名古屋の小学校の教員になったが、二年ほどで、稲垣先生はすぐに奈良に移られ、入れ違いに影山先生が愛知教育大に赴任された。すぐに先生から電話があり「研究会をしよう」ということになり、学部生・卒業生を含めて、十人ほどの「五十日会」が発足した。先生曰く「五十日くらいあれば、人間は変わる」ということで、研究会を始めたのである。

         

         テーマは体育・スポーツの問題点をメンバーが順に洗い出し、論点を整理しながら話し合うということだった。当時は、すでにメンバーからはポストモダンの視点が出されていたし、影山先生も黙って聞いている人ではなかったので、毎回盛り上がった。ただ、批判意識のないレポートには酷評も辞さず、正直「そこまで言わなくても」というくらいだった。酷評されて、足が遠のく参加者も少なくなかった。トヨタに勤める労働者から「トヨタ方式」の批判を聞いたり、「原発の課題と廃棄への道」をエコロジー研究者から学習したりと、ゲストも多様だった。

         

        2 反オリンピックと「トロプスTROPS」

         

         1977年名古屋オリンピック招致の声があがった。研究テーマに「オリンピックと社会」ということがあげられるようになり、産業社会批判から、近代オリンピックや国体など現代のビッグ・スポーツイベントの問題点を論じることが多くなってきた。

         

         1980年の秋「簡素なオリンピック」を提案する革新団体が、「オリンピックを考える会」を中心に活動を始めた。はじめからそれに参加していた先生は、積極的に発言されていた。何回目かの拡大集会に参加されたあとのことだが、二人で帰る途中、「岡崎君、オリンピックを考えてばかりでいいのか

        な?」と言って、その足で大学に帰り「オリンピックそのものに反対するべきではないか」と提案された。私自身も「考える会」のはっきりしない流れに疑問といらだちがあったし、すでに、名古屋大学の経済学者水田洋先生に会って、全面的に名古屋オリンピック招致に反対するのが民主主義だという意見を聞いていたので、影山先生の意見に全面的に賛成した。

         

         影山先生は1981年5月「反オリンピック研究会議」を設立し、「体育・スポーツ研究者がオリンピックの問題にもっときちんと言及し、オリンピックは廃棄することが一番建設的だ」と主張し、活動をはじめた。体育やスポーツ関係者がオリンピックの全面的批判をするということは珍しいと言うより、「異常だ」と言われていた。しかし、先生はそうした異論にぶれず、盛り上がってきた「オリンピック招致反対市民運動」に積極的に関わった。「全面反対は展望がない!」という批判に対しては「廃棄こそ展望」とはっきりと言われた。そして「常に一般市民と一緒になってオリンピックの問題性を考えるべきだ」と積極的に市民集会に参加するようになった。

         

         そして『反オリンピック宣言』(風媒社)を水田先生と編んで、あちこちで学習会やデモ、集会など、かなり活発に活動された。先生の原則的でラジカルな主張や論調に加え、その人柄の温かさで、影山ファンも増えた。先生は多くの人に支持され、先生もその市民の声に勇気づけられることとなった。

         

         反オリンピックの活動と同時に、先生は競争原理に対する「協働的運動・ゲーム」を、提起された。競争原理よりも協働原理を重視するということで、スポーツの逆さ読み「TROPS(トロプス)」と称した。つまり競争スポーツ中心のオリンピックに対するカウンターとしてのトロプスである。マイノリティーやマージナルな文化を重視し、そこでは、競争より協働を重視した文化があることを確認した。そして、近現代の競争文化を批判しようと具体的な運動・ゲーム群を考案し、構造化したのだ。

         

         1988年のオリンピックがソウル開催に決定し、反名古屋オリンピック闘争は一応終結した。『みんなでトロプス』(1984風媒社)を編んで、市民集会や教育集会などで、反オリンピック的なスポーツ・体育批判をしながら、協働的な「すぽーつ」やゲームを楽しむワークショップのために、先生は全国を奔走した。私も、影山先生との旅行が多くなった。

         

         このワークショップでは、かならず参加者から笑顔や歓声があがり、トロプスの楽しさが目の前で実証されることに我ながら驚いた。影山先生のレクチャーは柔軟であり、常に具体的で身近な問題から始まるので、声高に「競争原理」や「勝利至上主義」を批判するより、効果的であった。弱者やマイノリティー、あるいは、運動音痴などと揶揄され、排除される人たちには、「勇気を含んだ優しさ」の必要性を語りかけ、元気づけられた参加者からも支持がされた。

         

         あるとき、門限の非常に厳しい「青年の家」の宿舎を、深夜抜け出して、居酒屋に行き、「明日の朝礼に、参加者に声をかけて一緒に日の丸・君が代を拒否しよう」と先生が言い出すので驚いたことがある。むろん、私は大賛成したが、日の丸・君が代への強制や、国家権力にも厳しく反対の意志を持っておられたのだ。

         

        3 愛知の管理主義教育批判と愛知県知事選立候補

         

         トロプスと同時に「愛知の管理主義教育批判」として「教育市民運動」という新しい概念を提起したのも影山先生である。当時は、日教組などの組合が「父母と語る会」などで親や市民を組織することが多かった。しかし、影山先生は教員の組合や大きな既成組織からも自立した「市民の教育運動」を主張され、ご自分の住んでいる岡崎市からそれを発信した。

         

         当時は「管理主義教育は西の愛知、東の千葉」と言われるくらい有名だった。とりわけ、体育の授業や身体を対象(体力作りや集団行動訓練)とする教育的働きかけをテコにして、学校全体の管理主義化が進み、子どもたちの人権はまったく顧みられなかった。極度のパターナリズム的な暴力が教育の名の下に展開されていた。

         

         岡崎市の中学生が教員の生活指導のあとで自死したということもあり、影山先生の怒りも相当なものだった。しかも、自分は愛知教育大学の教授として、教員たちの養成にも手を貸している。その教員が子どもの人権を無視して、管理主義的な規則や体罰に疑問を持たずに容認しているのだ。「静観するのは犯罪的だ!」とまでおっしゃった。

         

         先生は、「岡崎市の教育を考える市民の会」を設立して、教育委員会交渉や学校交渉、市民への広報活動と学習会をかなり頻繁に開催した。これは、「教育大学の先生が教育委員会に楯を突いている」と揶揄され、あげくのはては、「影山ゼミ卒業生は、教員採用試験に不利だ」と馬鹿な噂までたった。もちろん、そんな事実はまったくないし、ゼミ生たちはみんな教員になっている。しかし、それくらい、愛知県教委や学校管理職には恐れられた。『草の根教育運動のために』(1983年国土社刊)をまとめ、県内の心ある人たちの結束をはかり、情報誌も毎月発行することになった。私も先生とともに、毎月印刷工場にでむき、情報誌の校正・発送などにつきあうこととなった。

         

         このことで、また多くの市民との交流が深まり、先生の市民運動はますます拡大し総合的になっていった。多くの労働者や知識人との交流、市井に生きる人々と一緒に考え行動し研究していくという姿勢がここでも貫かれた。

         

         そして、愛知国体、愛知高校総体など、スポーツ・体育への根源的な批判を続け、一方で地方自治のあり方などにもその活動範囲を広げていった。

         

         1999年には、2005年の愛知万博誘致への反対の意思表示をする市民の代表として愛知県知事選に立候補することになった。愛知万博は環境博といいながら、強引な誘致や、里山の環境破壊、希少生物の絶滅、高速道路建設などオリンピックと同じような「お祭り型公共投資」であった。そのことに影山先生は早くから異議申し立てをしていた。そして、市民派として、1999年愛知県知事選に立候補したのである。得票数約37%で落選したが、市民派でこれだけの得票は、自然保護のために会場を変更するなど、ずいぶん万博推進に「慎重さ」というブレーキをかけることにもなった。

         

         

         先生は最後まで先生らしく生きられたと思う。おそらく体育・スポーツ研究者でここまで幅広く、市民の知を大事にされ、民主主義を深く考え、市民の立場を堅持し、政治的対立を恐れないスポーツ社会学の研究者がいただろうか。大学だけでなく、地域や街を「拠点」にしながらも、「社会」を行動的に社会学したと言ってよいと私は思っている。まだまだ書き足りないことがあるが、それはいつかまたの機会にと思う。

         

         常に「研究とは何か?」「何のための研究か?」「権力とは何か?」「民主主義とは何か?」を問い続けることをやめなかった影山先生であった。私自身、不肖の末端の弟子としては、まだ当分の間は先生の残したものを読み解く日々が続きそうだ。

         

         「岡崎くん、そろそろまた、反スポーツ・反オリンピックを考える市民集会を企画しなければいけないよ、そうだろ?」という電話はもうかかってこないのだという現実にまだ打ちのめされている。

        • 現在『影山健 批判体育スポーツ研究論集』(仮題)を作成中である。貴重なスポーツ社会学の論文集を残された者で編んでいます。できあがったら、多くのみなさんに読んでいただきたいと思います。またご連絡ください。ご案内を差し上げます。

         

        岡崎勝

         

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          10月24日(月曜日)  「クソたわけぇー」という言葉環境と思想環境

          • 2016.10.24 Monday
          • 07:08

           FBの方に近況を書き込むことが多くなってしまったので、まとまった記事をこのブログになかなか書けなくなってしまった。しかし、FBは「しょせん」FBであって、短い100文字程度が限界かと思う。だから、ときどきは、自らブログにも書いていこうと思う。他の原稿は粗悪量産している(笑)。

           

           もう一つの『お・は』専用的ブログは『お・は』の動きや、それに伴った話題や課題があるので、書けるが、ここはできるだけ「教育」の枠に囚われずに書きたいと思っていて、選んでいるつもりだ。基本的に体育やスポーツ、身体、健康について書いていきたいと思っている。

           

           だが、今日は「土人」問題について書きたい。「やっかい」「めんどくさい」と思う市民に対し、担当した一公務員が、市民を「土人」と侮蔑して声を荒げたというコトが、ネットや新聞、テレビなどで話題になっている。ちょっとなあと言う気もしたが、メディアの大騒ぎもなんだかなあと思う。「市民が『乱暴』しているからしょうがない」みたいなニュアンスでの彼を擁護する意見には与することはできない。本人は処分を受けているようだが、本当は、まずもって、言葉を放った当事者に、本人自身がきちんと謝罪し、反省すればよいのではないかと……ボクはあっさり思った。その言葉を放ったことの重大さを理解しないと反省もなにもないが。処分して何が解決するのか?と。

           

           でも、ボクが一番驚いたのは、「土人」という言葉を、若い彼が知っていて、それを公的な仕事の場で使ったということだった。ボクの小さいころ、「土人」という言葉は本やマンガ、テレビでときどき使われていた(よく使われてはいなかった)から、「文化の未熟な土地、文明のない土地に住んでいる人」という意味で受け止めていた。たいていは、貧しく、賢くなく、文明の進んだ人から、バカにされ、見下されるような人たちを「土人」として物語を理解していた。「差別」という言葉・意味もまだよく知らなかったし。

           

           しかし、生活の中でそれを友だちに使うと言うことは、無かったと思う。むろん覚えていないだけで、冗談やふざけて使っていたかもしれないが。また、「シナ」という言葉も、ラーメンを「シナそば」と大人たち(昭和一桁)が言っていたのは覚えているが、自分で使ったことはない。最近はネットでも若い人が使っているが、気持ちと理屈が理解できない。

           

           実は自分が育ったところは、名古屋の港区で、戦後10年くらいで、在日の朝鮮・韓国の人や、九州の炭鉱闘争で追われてきた人たちなど、たくさんいたし、日常的に一緒だった。零細の町工場で働く父がいて、自分の家もそうだが、どこの家も貧しかった。むろん日本が貧しかった。けれど、そこに住んでいるときは貧しく思わなかった(笑)、高校生になって色々な地域の人間と交流するようになって、「貧しさ」を自覚するようになった。だが、不思議と「それがどうした」感覚だった。

           

           さて、そんなところで育ったのだが、日常生活では「土人」「シナ」もボクたち子どもには無縁だった。だから、この「土人」発言の若者には驚いたのだ。この「土人」「シナ」をどこで覚えたのだろうか? しかも「怒りとして、差別として使用」することを。それが不思議だった。つまり、学校の授業ではないだろうとは思う(たぶん)。人間は怒ったり、感情的に興奮したりすると、攻撃的な言葉を「つい、使ってしまう」のだが、その言葉が「差別」「暴力」を意味する言葉の場合もときとしてある。

           

           この若者の周囲には、こうした社会的差別を意味するとされている言葉を、日常的に使う生活があったのだろうか? そこが一番気になるのだ。

           

           「あほ、ぼけ」は大阪では、そんなに珍しくなく、普通だと言われているが、本当だろうか? 名古屋では「たわけか!」「クソだわけぇ」という言葉がある。ボクも小さいころ頻繁に使っていた……今は……使ってないな。織田信長は小さいころのやんちゃ時代、「たわけ者」と言われていたらしいが。ボクの中学生のころは喧嘩になると、お互いが、「バカヤロー」と「たわけえええええ」だったが、「死んでこい!」ということもよく言っていた。「殺したろか」なんていう物騒なことも言った友だちもけっこういた。実際に殺した友だちはもちろんいないけど。「殺すぞ」は、ボクにとってはちょっとハードルが高かった(良い子ぶるけど)。だが、高校生からはそんな言葉を使えば、見下されるような気がしたので、めっきりと減った。なんども書いたが「女子の皆さん」に教育・矯正された(笑)。

           

           今回のように、思わず出てしまう攻撃語が、「土人」「シナ人」なんかだと、「おれは土人じゃない」「おれはシナ人じゃない」という反論は、同じ差別の土俵になっちゃう。同じ土俵に乗れないような、そんな喧嘩は買えないよなあと思った。

           

           「土人」と仕事場で市民に言い放ってしまうこの若者の言葉環境と思想環境が本当に気になる。そしてそれを処分するだけ(「だけ」じゃないことを願うけどね)という事にもボクは抵抗があるのだが。

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            9月8日(金曜日) 子どもの貧困 は 何が問題なのか?

            • 2016.09.09 Friday
            • 16:50

             まず、秋の講演会。まだ余裕あります。なんでも薬という条件反射を検討しましょうと。 

            アーレの樹 秋の講演会  
            『発達障害と薬の使い方を考える』
            講師 小児精神科医 石川憲彦 先生

            2016年10月23日日曜日午後1時から3時まで
            場所: 愛知学院大学日進キャンパス  愛知県日進市岩崎町阿良池12 
            定員: 200名  参加費:1500円
            主催: 一般社団法人 アーレの樹 愛知県日進市梅森台4丁目66
            電話 052-807-2585 FAX 052-864-7005
            申込み方法:仮予約 
            ‥渡辰FAXでお名前、住所、電話、メールアドレス(ある方のみ)
            ▲◆璽譴亮HP:http://aarrenoki.org/event/   の下の方にある
             「イベントのお問い合わせ、申し込み」から

            仮予約後、参加費納入手続きなど詳細について、こちらから御連絡します。

            お問い合わせ:一般社団法人 アーレの樹 052−807−2585
                        メールaarre-event@aarrenoki.org

             

             今週の日曜日に、『子どもの貧困』というテーマでレクチャーというか、概論を頼まれて90分くらい二十人くらいのかなり前向きで、意欲的な人たちの前で話をしてきた。ボクの話を参考にしながら、これからしばらく様々なアクションやプランを作っていくというので、いつも以上に緊張して話をした。

             

             正直、準備もけっこう大変だったが、いつも「大変な準備は身になる」と思っているので、苦労とかしんどいとかは思わない。淡々と資料や自分の経験や記録を整理していくだけだが、まとめていこうと思うとなかなか工夫が要る。ピーマン頭なので、ない知恵を絞った。ちなみに、先日のNHKラジオに出演したときの準備は、手紙に対してのコメントや考えを述べるという予習だから、さほど大変ではないのだ。

             

             子どもの貧困が、相対的貧困と絶対的貧困という分割された別々のものと捉えるのは理論上のことで、実際には相対も絶対もなく、「生活しにくい貧困」状態なのである。貧乏と貧困は若干ニュアンスがちがうが、ボクの感覚で言うと、貧乏はそれがどうした!と自分で思えるが、貧困は、元気が出ないので、ちょっとほっとけないなと思う。

             

             「日本では、相対的貧困が絶対的貧困を招いて、社会の格差と不幸が加速的に広がり、収奪と内部留保が増加する」というのがボクの主張だが、それは、まだ仮説なので、今日は話さなかった。

             

             「雨露を凌げる場所があって、食べるものがなにかあれば生きていける」とずっと思ってきたので、衣食住にあまり贅沢感覚を持ち込む気はない……ようになった。あんまり立派な堂々とした門扉や大きな庭があったりする邸宅を見ると、「あの家の中では、不幸が積み重なって、最後は殺人事件が起こる感じがするな」と若干すねて()思うのがボクの常である。

             

             今回の会の参加者は、知性的な若者から、人生を沈思黙考できる年配の人までで、なんだか「ボクで申し訳ない、真剣に聴いてくださっているのに、ごめんなさい」的な気持ちで話した。

             

             

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              8月28日(日曜日)不登校と8/28おたよりラジオ7で話したこと

              • 2016.08.28 Sunday
              • 23:50

               28日放送当日の朝の九時頃家を出て、名古屋駅に行く。前日から息子夫婦が来名してくれていて、楽しく歓談(笑)。最近は、若い人たち(たとえ息子とはいえ、いや息子だからこそか)は、ボクらに話を合わせて付き合ってくれていると思うようになった。夕飯は息子の連れ合いの弟君も呼んで、久々の外食。弟君は少し前から名古屋に就職している。映画の話になり、見たいと思っていた『君の名は』を、夜見に行くというので、うらやましいなあと、やや盛り上がる。他の人たちは、沈黙。

               

               昨夜は今日の番組の進行表が若干修正されたものが送られてきたので、自分で作った放送ノートを確認する。「不登校の話」は本当に難しい。評論しちゃうとなんか他人事(「たにんごと」でなく「ひとごと」と読む)のように思ったり、思われたりするので、隔靴掻痒(「かっかそうよう」と読む)の感あり。ただ、できるだけ、ボクなりの「原則さ」と「適当さ」を合わせて考えて表現するといことになる……なんて、いつものことなんだけど。

               

               事例をどう扱うかというのが一番難しい。つまり事例として不登校をまな板にのせると、その人にとっての不登校はそれがすべてだと考えるだろうし、そうでない人は、事例と自分の体験との「違い」に違和感を持つんだろうと思う。そんなことを考えながらノートを作る。(これは、結果的に、どうでもよくなったけど)

               

               東京まで空席の目立つのぞみで本を読む。この期に及んで滝川一廣さんの本。滝川さんはおもしろいし、非常に現実的且つ原則的なので精読している。精神科医ではあるが、臨床的不登校だけでなく、「教育論」的不登校についてもかなり造詣が深い。

               

               渋谷のハチ公前から歩く。今日の宿泊所のホテルで荷物を預かってもらって、カフェ(笑)に行く。しかし、東京は、どこもどうして混んでいるのだろうか? 首都だからな。日曜日だからしょうがないけど、カフェだと看板に書いてあるから入ると、どう見ても自動販売機にちょっとおしゃれなサポート店員さん&椅子があるだけだろうと思えて、出てしまう。結局はNHKのそばの交差点を見ながらお茶の飲めるカフェの二階に座る。ゆったりとしているがカウンターだ。

               

               そばで五人くらいの若者が、自分たちのバンドの売り方について、いろいろと熱っぽく話している。女の子が元気で、キツイ話し方で論じている。男は、ちょっと上から目線的に話すが、それがチープで、女の子に反論され、「ごめん」と謝っている(笑)。

               

               久しぶりに……というか、落合恵子さんに会った。いろいろと話がはずんで、自分の忘れ物に気付いた。ほんとうは、『女が別れを告げるとき』1979年の初版本をボクは持っていたのだが、それを持参して、落合さんにサインしてもらうつもりだったのだ(笑)。残念! 京都のあんだんての福本早穂さんとは始めてお会いするけど、すぐに打ち解けて良い雰囲気になって、放送室へ。

               

               しかし、「海図」(進行表)がアバウトのような(NHKにしては(笑))感じたが、今までの不登校に関するお便りが中心に進むので、のんきに構えていた。むろん、それぞれのお便りに関してはコメントを考えてはいたのだ。ところが、45分あたりから、新しいお便りが、番組中に入り始めた。とくに十代の若い人たちからのものがあり、それを取り上げた方がいいよね!となったらしく、つぎつぎに放送室にファックスやメールが届けられる。番組の進行コントロールは加藤成史敏腕(感動しました!)キャスターがすることになっている。

               

               で、けっこう難しい質問がボクに振られてきて困った。いじめで不登校というのはよくあるし、学校に行く必要性や、追い詰められたところでの身の振り方など、話し出したら1週間くらいかかるような重い中身をどうするか??? 事前の打ち合わせでも、「いじめ」に深入りすると大変だよね……って言ってたのに(笑)。後半は、加藤キャスターと目を合わさないようにしていたのだけれど、今度は落合さんが振ってくる。

               

               かんべんしてよモード(笑)。ラジオだということで、慌てふためいた様子を視聴者に見られることはないけれど、お便りを書いてくれた人や、しんどい思いをしている人が今ラジオの前に確実に存在していて、にもかかわらず、両者とも顔が見えないというきわめて厳しい状態……だから、言葉を選んで話すしかない。当然、ボルテージは落ちっぱなし。そこが、自分でも、おもしろかった。

               

               途中で、「不登校したことのない人には分からない」「うちら田舎だし、お金のかかるフリースクールのことばかり言わないで」という、そりゃそうだよねと思う。批判メールなども来ると、みんな「できるだけ取り上げよう」と一致。なかなかの即席チーム力だった。批判はその通りだ。だけど、そっから対話をはじめようと思う。

               

               落合さんもすごくアバウト。しかし、さすがとしか言いようのない、受けや、回しだった。筋もとおっていていい。レモンちゃんで、昔、高校生のころから深夜放送で、ずーっと聴いていたファンとしては、同じスタジオで話してるんだと、ふっと感動した。今までも集会やクレヨンハウス、『お・は』などでお世話になっているのだけれど、なんだか嬉しかった。

               

               しかし、「終わっちまえばもういいや」モードになってしまうところが、ボクの悪いところなんだけど、関係者にもそういう人がいたので嬉しかった。だって、済んだことは、感情的に悔やんでもしょうがない、冷静に次のステップに生かすか忘れるしかない。

               

               今回の番組では、ボク自身のテーマは想像力だった。不登校もそうだし、いじめもそうだ。ただそれを「相手の身になって」という言い方にはしたくない。「相手の身には簡単になれない」ということ。けれど、想像力をフル活用し、限界を認めながらも、共感したり、反発したりできるはずだ。ラジオはテレビよりもその点はいい。

               

               いずれにしても、不登校という重たい。けれど、味わいのあるテーマを落合さんや福本さん、加藤さんと全国に向けて話せたことはボクにとって、すごく生きた勉強になった。色々とファクスやメールをくださったみなさんありがとう。「岡崎さんって、こんな声なんだ」とメールくださったかた。「ファンです」と恥ずかしいことをメールくださったみなさん、どうもありがとうございます。

               

               明日から、二日間孫のいる娘のところですごします。

              *8/22のブログが消えました。操作ミスです。申し訳ありません。

               

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                7月25日発刊 『お・は』92 『行きしぶり・不登校、親の心がまえ』

                • 2016.07.24 Sunday
                • 16:20

                 

                夏になりました。毎日セミの鳴き声で目をさましています。みなさん、御元気でしょうか? 『お・は』92号をお届けします。

                今回の特集は『行きしぶり・不登校、親の心がまえ』です。「正しい意見」だけでは、なかなか難しいのですが、原則と臨機応変の両方をながめながら特集を組んでみました。

                 

                学校へ「みんな」が行っているのに、なぜウチの子は「行かない」「行けない」のか?というところが教員や親のいらだちとかあせりとか不安です。でも、たとえば、子どもの半数くらいしか学校に行っていなければ、おそらく、そんな不安はなくなり、今度は、子どもにとって「行く方がいいのか、別の方がいいのか?、この子に学校は必要なのか?」という選択等に「悩む」ことになるでしょう。

                 

                新卒のころからずっと今まで、私はいつも「手ぶくろを買いに」(新美南吉)の最後のことば「ほんとうに人間はいいものかしら」という母ギツネにならって「ほんとうに学校っていいものかしら」とつぶやき、考えてきました。もちろん、私は学校はそれなりにおもしろいところだと思っていますが、誰でもがそうだとは限りませんし、すべての学校が同じようにおもしろいわけでもありません。子どもを受け入れる努力が十分だとは思いません。それどころか、子どもを排除しているようなところだって、たくさんあるはずです。

                 

                行きしぶりや、不登校は、学校の根本を見直せ!という子どもから私たち教員・親・大人・社会への命をかけた要求的な問いかけなのだと思った方がいいと思います。ぜひ、この特集も、そうした意味で読んでいただければと思います。

                 

                そして、『お・は』も購読者をさらに増やしていかないと発刊も大変です。広告も取らず、教育版?暮しの手帖(笑)としての意気込みで続けています。ぜひご支援をください。お近くの方にご紹介ください。ネットでもアマゾンでも注文できます。

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                  影山 健 先生

                  • 2016.06.19 Sunday
                  • 18:34

                   

                   影山健先生が6月16日に亡くなられた。新聞にも訃報が掲載された。愛知教育大に勤めながら、管理主義教育に反対し、愛知の教育市民運動の草分けのリーダーであり、お祭り型の公共投資である愛知万博にも異議を申し立てた希有な研究者である。そしてオリンピックそのものに断固反対された。協働的ゲーム『トロプス』の考案者でもある。

                   

                   私にとっては、愛知教育大学二年生のころからの師であり、当時、先生は都立大学助教授であった。すでに、若くして、世界的な体育・スポーツ社会学の著名な研究者であった。日本よりも欧米の方が有名であったという話もあるくらいだ。世界的な体育・スポーツ学会の中心メンバーでもあった。

                   

                   先生と一緒に活動し、指導を受け、先生と本も何冊か作り、そして、知事選も一緒に運動し、20歳から今まで、ずっと、先生と一緒だったような気がする。ここ10年くらいは、私自身も多忙を極め、健康にも不安があり、先生にお会いすることも少なくなってしまったが。

                   

                   2014年4月15日に名古屋で、イギリスで活躍している、身体とジェンダーの研究者ジェニファー・ハーグリーブスさんを呼んでの集会が、先生とやった最後の集会だった。(この写真はその時のもの。ジェニファーさんと私と影山先生)

                   

                   先生の影響があまりにも大きく、通夜で焼香したのだが、実感も湧いてこない。しかも、葬儀の日は、第51回おもしろ学校ごっこの日で、参列できなかった。「その日は、おもしろ学校ごっこで行けません」と言わざるを得ず、申し訳ないでは済まないなと思った。

                   

                   私なりの弔辞を、あらためて書かねばならないなと思っている。ご自宅へ伺うと、いつも、分厚い英語の資料を読んでいて、「これを読みなさい」と、これまた分厚い資料(すべて英文)のコピーを渡され、いつも先生らしいなと笑いながら受け取って、「先生、早く、本を書いてくださいよ」とお願いしてきたが、もう宿題を出してくれる先生も、本を書いて欲しいとお願いする先生もおられないのだなと思う。

                   

                   三ヶ月前に、伺ったとき、病床から切り抜いた雑誌の資料などを取り出しながら、「安倍はいけない。東京オリンピックは問題だらけだ」とくり返しおっしゃていた。それが、最後に聞いた、先生らしい力のこもった言葉だった。

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                    親が読んでもよく分かるように書きました。

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